愛猫と義父のはなし

先日は我が愛猫の命日で、義両親の結婚記念日だった。

2年前の夏に2カ月間の闘病を経て猫は去って行き、その翌日に義両親へ結婚の挨拶をした。

それからと言うもの、私にとって7月は別れと進展の季節になった。

この時期になると猫に会いたい、といつも以上に強く思う。


先週末、半年ぶりに義両親に会った。

義実家では両親の誕生日も父の日・母の日も祝わない代わりに、毎年必ず結婚記念日の付近の週末に食事会をする。

コロナ禍なので賛否両論あるだろうけど、今年も記念日の食事会は予定通り行われた。

店は早くに閉まってしまうのと、今現在お酒を飲めない人が2人いるので、義実家での食事会となった。


ここだけの話、数ヵ月前に実は義父が癌を患っているという連絡を受けた。

義両親は随分前から義父に癌があることを知っていたそうなのだが、子供達には手術ができる段階になってから報告したようだった。

最初は、手術で取り除ける程度の初期段階のものだと聞いていたのだけど、いざ見てみたら転移が進んでいて、今の状態は末期癌の手前であるステージⅣにあたるらしい。


私にとって癌は不治の病の印象が強い。

20年前と10年前、母方の祖母、叔母、叔父を全員癌で亡くした。猫の病気も癌であった。なぜ何度も何度も癌なのだろう?

その中でも強烈に記憶に残っているのは、叔母の闘病生活である。

叔母は乳癌だった。とても綺麗な人だったけど、抗癌剤の副作用で髪の毛が抜け落ち、顔が黄色く浮腫んで最期は別人のようになっていた。

私は10歳の頃に母に連れられて度々叔母を見舞ったが、心の中では日に日に変わっていく叔母の様相を「怖い」と感じていた。

そしてある日、いつものように病院に行ったところ、母が突然泣き出して「○○ちゃん(叔母)が死んじゃった」と言った。(病院に着くまで、言えなかったらしい)

叔母が病気であることは分かっていたけど、死んでしまうような病気が世の中にあることをまだ理解できていなかった私は、ぼんやりとその言葉を聞いていた。

葬式では娘に先立たれた祖母が火葬の直前に娘の名前を呼んで泣き叫んでいた。

その2カ月後に祖母は亡くなった。

2人の遺体に触れた10歳の私は、あの時の肌の冷たさ、硬さを、とても生きていた人間とは思えないようなその感触を今でもはっきりと覚えている。


癌と言われると、これらの記憶がまざまざと甦るのである。

特に抗癌剤は嫌なイメージしかないし、病院も大嫌いだ。(病院嫌いは、母の事故の影響もあるだろう)

でもあれらの出来事は10年~20年前のことであって、きっと今は癌治療も進歩していて、被治療者にとってより負担が少なく、効果の高いものに変化しているに違いない。

癌は不治の病ではなくなった。それでも、「ステージ4」「手術による摘出はもうできない」「抗癌剤治療へ移行」と聞くと、嫌なイメージばかりが浮かんでくる。

私はまた、20年前のあの光景を見なければならないのだろうか。

何より、夫や義母、義弟は、自分の夫であり父である人の闘病と今後向き合って行かなければならないのか。

私は、自分の父や母がああなるのは絶対に見たくない、と密かに思ってしまう。

無暗に不安を煽るだけなので、夫には10年、20年前に叔母達の闘病生活で見たことは言わないつもりだ。

ただ「今は癌治療も以前よりはずっと進歩してるはずだよね」と2人で言い合った。

「癌はもう不治の病じゃないよね」と。



久しぶりに会った義父は元気そうだった。

ただ、以前よりも痩せて顔色が悪かった。

義実家に着いてすぐに、先日渡した御見舞金のお礼と私の体を気遣う言葉をかけてくれた。

家族になってから、義両親はより優しくなったような気がする。

深い親戚付き合いが得意なわけではないけど、あの空間にいる時は「結婚して良かった」と思う。


義父は、仕事がしたい、と言った。元気でいなきゃなーとも言っていた。

ハッキリは言わなかったが、「孫が産まれるから」という意味だったのだと思う。

実は、妊娠してから「あれ、タイミング間違えた?」と思ったことがあったのだけど、妊娠発覚後に義父の癌の話を聞いて、始めは初期症状だと言っていたのに蓋を開けてみたらステージⅣであることが分かって、決してそのためだけに産むわけではないけれど、やっぱり「今で良かった」んだと思った。


こんな時は、旧約聖書の一節を思い出す。

主のなさることは全て、時にかなって美しい(伝道の書3:11)


都合の良い解釈に思えるだろうか。

妊娠だけでなく、色々な事で「はやく、はやく」と気持ちが急くことはあるし、じゃあこんなに望んでいるのに「今じゃないのか」「私には手に入らないのか」と現状に不安や不満を抱くこともあると思う。

それでも私にとって今回の出来事は、自分達の力では決してコントロールできない次元にある神の領域のことで、例え私にとっては不利益な部分があったとしても「時にかなって美しい」ことだったと思う。

そう考えることで、不安も多いけれど、勇気を持ってこれ以後の生活を過ごすことができるかもしれないと感じたのだ。



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(なんて気持ちよさそうに眠るのか)

【土曜日は灰色の馬】本の世界の中の「私」

最近読んでいる本について。

まだ読み終わっていないのですが、久しぶりに読書をしていて、あ~この感覚忘れたくないな・・・としみじみ思ったのでこの気持ちが鮮やかなうちに書き留めておくことにします。

恩田陸のエッセイ集なのですが、別の著者の小説の後書き等をかき集めて1冊の本にしているのがこの「土曜日は灰色の馬」です。

恩田さんのエッセイは、最初から「エッセイ」として書かれたものよりも、こういうちょっとした文章の方が面白いと思います。

特に、恩田さんが読者目線で作品を語る時の様子が、この人は小さな頃から幸せで満たされた読書生活を送ってきた人なんだなあと思わされます。

実に生き生きと、この本が面白い、あの本の、あの著者のここが素晴らしい、と書き連ねられているので、その文章を読んでいる私もだんだん楽しくなってくるのですね。


それから、恩田さんは決して特別ドラマティックな日常を送っているわけではないと思うのですが、日々の暮らしの中で感性に響いて残るものを大切にしながら過ごしている様子がエッセイを読んでいるととてもよく分かります。

つくづく思うのですが、現代人の生活はどう考えても情報過多だよなあと。

私自身、どうしてもTVやスマホを見る時間が長くなりがちで、そういうものから離れて何も考えずぼんやりしたりただ空想に浸ったりする時間が昔に比べたらものすごく短くなってると感じます。

そういう情報過多な暮らしをすることで、イマジネーションが貧相になるのは嫌だなあ・・・・と思ったり。


本だって情報のひとつではあるんだけど、TVやスマホ等の、ただ眺めているだけでも大量に流れ込んでくる情報とは違うんですよね。

やっぱり、TVやスマホの情報を吸収している自分は「何も感じていない」「何も考えていない」(読書している時に比べると)と感じます。

一方、本を読むことで得られる情報や想像力は、何て言うのかな、文字を追っているのは確かに自分なんだけど、その物語を傍らから見ている自分でいられると言うか、普段自分が抱えている自己中心性から解き放たれているような気分になれる気がするのです。

この感覚を、しっくりと言葉にしてくれていたのが、以下の引用箇所でした。(「一人称で小説を書くこと」に関する恩田さんの持論について)

最近つくづく思うのだが、一人称という形式には、いっぱい罠が仕掛けられている。特に純文学であればどうしても作者と同一視されてしまうし、実際「これは私ではない」と意識しつつも「私」の物語を「私」の視点だけで綴っていくというのは、二重の檻に入れられているようなもので、そこのところに私は強い抵抗を感じてしまう。よほど強い自己客観性を持っていない限り、管理と制御が難しい形式なのだ。
~中略~
また、読む方にも一人称は「共感」という大きな罠がある。近年発達したいわゆるヤングアダルト系の小説は、「僕」や「あたし」が親しみやすい口調で世界への違和感を語り、「ここに私のことを分かってくれている人がいる」という共感を抱くようにできているものが多いが、だからといって「共感」がほんとうに「理解」とイコールなのか、共感できない人は「私のこと」を分かってくれていないのか、という根本的な問題に気付きにくくなっている。
~中略~
世界が一人称になりつつあることは、日々感じている。特に、携帯電話が行き渡って「私」をそのままに世界に一致させることに抵抗がなくなったし、世界の中に居る「私」を俯瞰するよりも「私」という檻の中から世界を見、「私が傷つき」「私が癒され」ることが最優先になったのである。しきりに「私って」と呟く彼らは、そのまま一人称の罠にどっぷり浸かっている。「私」を表現するには、冷徹な自己観察力を必要とすること、「私」の視点でいる限り、いつまでも自分を発見できないこと。「本当の私」をつかむには、何より三人称の視点を獲得する以外ないという、逆接めいた事実を受け入れるしかないのだということを。


実は私自身も一人称の小説は昔から避けがちなところがあります。

何故かと言われると、読者として偉そうなことを言うようですが、三人称の小説に比べると一人称の小説はどこか作者の「ひとりよがり感」が感じられることがあって、それが苦手だったからです。

もちろん全ての一人称小説にそう感じるわけではないですが、読み始めが三人称だと少しホッとする自分がいると言うか。


上記の文章が書かれたのは2008年頃のようですが、その時点で既に昔に比べて一人称で小説を書くことを躊躇しない作家が沢山出てきている、と恩田さんは言っています。

そしてその理由のひとつを【世界が一人称になりつつあることは、日々感じている。特に、携帯電話が行き渡って「私」をそのままに世界に一致させることに抵抗がなくなった】からではないか?と書いています。

それと同時に、【共感】と【理解】の違いが分からなくなっている人が沢山いると。


「共感」がほんとうに「理解」とイコールなのか、共感できない人は「私のこと」を分かってくれていないのか、という根本的な問題に気付きにくくなっている、という文章に私はドキッとしました。

私には、誰かと表面的な会話をしながら、例え本気でそう思ってなかったとしても「それわかる~」って言うのって、簡単に相手と仲良くなれる魔法の言葉だよな、なんて軽率なことをふと考えることがあるのですが、例え軽率な「それわかる~」でも、【共感】してもらえると人間ってホッとするんですよね。自分だってそうだもん。

特に、女同士のコミュニケーションには「それわかる~」が欠かせない場面がある。このやり取りが悪いものだとは思わないけど、少し寂しいと感じることがある。相手の生の意見をもっと聞きたい、知りたいと、心の何処かでは願っているからかもしれない。


一方で、共感してもらえないからと言って、相手が私のことをちっとも理解してくれていないというわけではないのだ、ということを心に留めておかなくてはならない。

皆それぞれ立場が違うのだから、100%の共感なんてあり得ない。そのせいで、自分は孤独だと勘違いして追い込まれてしまうのは悲しい。

注意しておかないと、私自身もそういう罠にはまってしまいそうな気がする。

どちらかと言うと、昔から相対する人との間に年齢の差、性別の違い、育った背景の違い等がある方が一緒に居て心地好い場合が多いので、恐らく大丈夫だとは思うのだけど。


【「私」の視点でいる限り、いつまでも自分を発見できないこと。「本当の私」をつかむには、何より三人称の視点を獲得する以外ないという、逆接めいた事実を受け入れるしかないのだということを。】

一見矛盾しているように思えるこの真理こそ現代人に大きく欠けているものであり、いくら沢山の情報があっても満たされない私達の虚しさを埋めてくれる秘訣なのかもしれない。


改めて恩田さんの視点って面白いなと感じると同時に、特に上記の引用箇所にはドキッとさせられて、やっぱり私にとって読書は人生に欠かせないものだ、と再認識したのでした。

気持ちを吐露する

18週だけどまだつわりの名残が消えないので心折れそう。

食べづわりと涎づわりとほんのり吐きづわりがまだ残っています。

これいつまで続くんだろうな。産むまでコースかな。つわり舐めてたな。


仕事後は家のことがほとんど出来ず(する元気がない)買ってきたものを食べたら倒れるように眠ってしまう日々も地味に辛いです。

簡単なやつだけど毎日作ってたお弁当も、気になったらせっせとトイレ掃除したり部屋の中掃除機かけたり埃を払ったりしてたのも、今は全部放棄しています。

それなりに規則のある整った暮らしは心地好かったな。そういうのは、心身が健康だから出来ることなんだと実感する。


こんなことを言ったら怒られそうなのであまり大きな声では言えないけど(中の人にも悪いし)私は妊娠はこれっきりでいい。

もう一度この苦しみを1から味わうのを想像しただけでもゲンナリ

実母には一人じゃ可哀想とか言われたけど、いや知らないし、妊娠出産育児とフルタイム勤務を両立しなきゃならない現代とそうではなかった母の時代とじゃ全然プレッシャーも違うし、私には無理。

経済的にも一人っ子の方が不自由をさせないで済むのは明白。私や夫の心身の負担も全然違うだろう。

一人っ子でも友達が居たり、パートナーに恵まれてくれればそれで良いじゃない。

ギリギリの家計で複数人育てるよりは、余裕を持って学費や自分らの老後のお金を貯めて、将来なるべく子に迷惑をかけないようにできれば、と思う。


数年経ったら気が変わるよ~って意見もよく聞くけど、今そういう気になれない人に対してなるべく余計なことは言わないでほしい。

自分を育ててくれた実母はともかく、特にこういうことを他所の人や男性に言われたら嫌だな。

義祖父が曽孫を楽しみにしていて、今まで何度か「もう赤ちゃんいるの?(妊娠してるの?)」って訊かれたんだけど、お年寄りだし生きてる間に曽孫を見たい気持ちは理解できるので笑ってスルーしていたけど、もしももしも、気持ちにも体力にも余裕がない今や出産後に「次の子楽しみだね」みたいなことを言われたら(言われそうな気がする)・・・・と想像だけでムカついたりして(笑)

悪気は全く無いし、2世代違う人にこういう面でのデリカシーを求めても仕方ないんだけどね。うちの祖母だって会ってないから言われる機会が無いだけでズカズカ踏み込んできそうだし。






具合が悪いとこういう暗いことを考える時間ももちろんあるのですが、意外にもピーク時はとにかく何も考えない・感じないフリをすることが出来る自分がいました。

ちょっと怖れていたのは、「私は自分の不調による辛さを誰かに当たって解消しようとしてしまうのでは?!」ということだったんだけど、そういうことは起こらなかった。

私ばっかり辛い思いをして夫はいつも通り元気なんてズルい・・・とか、カフェインもアルコールも生物も制限なくてズルい・・・とか思うのかなあ・・・と考えていたけど、幸い今の所そういうことも無い。


先日元気な日にひっさしぶりに外食したんですが、夫が目の前でキンキンに冷えたビールを飲んでいるのを見て羨ましかったけど嫌な気はしなかった。

それぞれ状況が違うし、腹が立つ人達のことを決して心が狭いとは思わないけど(だって辛いもんね)、そういう自分に少しホッとしたのでした。


ちなみに月島にもんじゃを食べに行って、佃島で老舗の佃煮もゲットしたので翌朝は白ご飯を掻っこみました。(決して美しいご飯じゃない&読みかけの漫画が置いてあるのは気にしないで)

鰹とか、ふきとか、昆布とかの色んな佃煮のセットと、オーソドックスな海苔の佃煮を買ったんだけど、やっぱり海苔は美味い!

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そして、最近休日夜は夫がせっせとご飯を作ってくれるようになったので本当に有り難い。

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今までは頼んでもやってくれなかったので未だに信じられないんだけど、もしかしたら、料理の楽しみに少し目覚めつつあるのかな~?と思います。

彩り綺麗で美味しかったこちらの料理は、創味シャンタンを味付けに使ってるらしいけどレモンがきいてるのでサッパリ食べられました。

ブロッコリーの皮が削ぎ切れてなくてちょっと固かったり(それも「今度からこの辺も削ぐと良いよ~」と言うアドバイスを素直に受け止める夫偉いわな)、副菜とかまでは手が届かずドーンと一品メイン料理だけど・笑。

全然良い。有り難い。



ああ、早くもっと元気になりたいなあ。

今後のブログについて+最近のこと

当ブログのコンセプトはタイトルどおり「好きなことを好きなだけ」なので今までもかなり雑多な内容を書き連ねてきました。

しかし今後は、どうしても自分の妊娠にまつわる体調やら、出産後は育児に関することを書くことが多くなってしまいそうです。

過去の私の感覚としては、やっぱり妊娠出産育児に関する記事って当事者以外は良くも悪くもそこまで興味がないと思うんですよね。(もちろん予定に無くても参考になることはあると思いますが)

だから、現在自分のブログを読んでくれている人がどのくらい居るかわからないけど、今後ブログの内容が大きく1つのテーマに偏ってしまうのは出来れば避けたいなあと思っている所存です。

今までどおり、仕事や食べ物や趣味、ふと考えたことなども書いていきたい。

とは言えやはり当ブログのコンセプトは上に記したとおりなので、妊娠出産育児のことも度々書くことになると思われます。

結局「好きなことを好きなだけ」になりそうですが、読者さんも気になる記事だけチョイスして見てもらえると嬉しいな。

そんなことを考えた今日この頃でした。




さて、最近のこと。

相変わらず薄ら気持ち悪い日もあり、息苦しい日もあり(これもつわりの一種か?)、以前通りとは言い難い体調のままでいます。

スッキリ「つわり終わった!」って人もいるみたいだけど、私はそういうタイプでは無いらしい。

今は4月頃の食べづわりに戻った感じもあって、お腹が空くと気持ち悪くなってくるので体重は少しずつ戻りつつあります(涙)

妊娠前が肥え気味だったので、そんなすんなり戻られても困るんだけど。



仕事には先週から戻っており、何とか一日頑張ってます。

通勤緩和の申請をすれば一日につき1時間有給の休みをもらえるのですが、とりあえず様子見。

8月から後任(?)の方が早めに着任してくれるので、それ以後は引継ぎをしつつ一緒に働いて、10月半ばくらいには産休って感じかなあ。



夫は今週あたり会社に妊娠報告と育休取得の打診する予定で、事前に話し合った結果、希望は2~3カ月、最短でも1カ月の期間でお願いしてみてくれるとのこと。

私は里帰りはしないので(実家近いからどうしても助けが必要な時は親にはこちらに来てもらうとして・・・)やっぱり夫には一緒に育児をスタートしてもらえると助かるな~と思って、育休のことは妊娠前から少し話し合っていました。

あっさり「取れる(と思う)よ」と言ってくれたので、言質を取ったつもりは無いけど、その言葉でそれなりにホッとして子供を持つことに前向きになれた経緯があるので、夫には感謝しています。



妊娠して、夫との関係はどうなるだろう? と不安もあったのですが、忙しい中でもかなり先のことを予習して考えてくれているみたいでちょっと意外。

今後の家計のことを話した時も、「産まれる前にベビーカーとか色々用意しなきゃいけないものあるよね」と自ら言ったり、私がなるべく早く仕事復帰したいと考えているので保活のことを話した時も、「保育園はなるべく家の近くがいいよね。風邪引いたりとかで呼び出されることもあるだろうし」と言ったり、それなりに自分事として考えていなければ出てこない発言をするので、私はひとしれず有り難がっています。



昨今共働きが当たり前になった世の中のことを考えると、男性もこうして意識をアップデートしてくれて当たり前かもしれないけど、やはり中にはまだまだ育児は他人事、もしくは気が向いた時のお手伝いレベルの人もいると思うので・・・。

実際自分の場合、妊娠しながら働くのが結構辛いです。先人達は皆これを耐え抜いてきたのか・・?と不思議に思うくらい。

妊娠以前と体の動かせる程度が全然違うし、毎日生きてるだけで(物理的に)苦しいし非常に疲れる。

もちろんきっとそこまで体の変化に影響を受けない人もいると思うし、私よりもずっと辛い人もいると思う。

個人差はあるけど、今まで通り家事と仕事をフルでこなせなくなるかもしれないことを考えると、どうしても周りの助けが必要になってくる。

一昔前なら同居の親や祖父母がサポートしてくれたのだろうけど、核家族化が進む現代ではやっぱり一番身近な家族は夫である人が多いですよね。


このブログで過去にも言及したことがあるけど、いくら母親になる女性が優秀な人であっても、特に最初は誰しも未経験である育児の肉体的精神的負担をこの先5年10年と一人で背負うのは厳しくなる時がくると思うのです。

例え実践するのが母親であることが多かったとしても、実践に至るまでの調査・検討を同じ目線、同じ熱量でしてくれる大人がいたらどれほど心強いか。

(余談だけど、男性にとって「どっちでもいいんじゃない?」「任せるよ」等といった決定権を委ねる発言は相手の意思を尊重した結果で、むしろ親切でそのようなことを言っている・・と何処かで見たことがある気がする。でも女性からすれば、何の意見も無いと流石に「丸投げされた~無責任すぎん?」となるんだよね。)

うちの場合も、実際の仕事の忙しさや融通を利かせられる程度を考えたら夫よりも私が育児に携わる時間が多くなるのは明らかなのですが、夫が真剣に一緒に悩んで決めてくれている+例え短い期間でも夫と一緒に育児をスタートできる という事実があるだけでも、だいぶこの先の心持ちが違うだろうと思ったのです。

だから、私にとっては妊娠中から夫が一緒に出産・育児の準備をしてくれることと、産後は育休を取ってくれることは、自分が妊娠出産を決意する上でほとんど必須条件だったかもしれません。


贅沢な話かもしれないけど、こうして男女の育児への携わり方が少しずつでも変わっていかないと特定の人が苦しむだけで浮き彫りにされずに埋もれていく問題は減らないだろうし、実際男性育休が更に浸透した方が育児関係の制度の改善はより迅速になると思う。

「周囲の人や制度に頼らなくても自分は頑張れる)」はたまた「実家に世話になれるのでOK」という考えもあるし、上手く行っているのならそれはそれで良いと思うし凄いなと思うし、別の方法で努力している人を否定する気は毛頭無いのですが、繰り返しになりますが私はやっぱりこれからの時代は夫と妻が同じ熱量で子育てをするべき(実践者に偏りがあったとしても)と思うので、微力ながらその流れに乗って後の世代の育児がもっと楽なものになって、誰しも親になってからも自分の人生を謳歌できる世の中になって欲しいなと願ってます。

なんて、大きなことを言ってみたけど、ただ自分が出来る限り楽したいだけなところもある・・・(笑)

さながら出所飯のような美味しさ

明日が久しぶりの出勤なので今からドキドキしています。

 

数日前から本当に楽になって体調が良いので、今日はちゃんとご飯を作りました。

 

かれこれ2ヶ月以上ぶり?の普通の夜ご飯…!!

 

夫が鶏胸肉のキムチ炒めを作り、私が人参しりしりとトマトとキュウリのサラダを作りました。

 

味噌汁はインスタント。

 

 

炊きたてのお米もお肉も味噌汁も生野菜も少し前までは絶対に食べられなかったので、ものすごい進歩を感じます。

 

出所後に初めて食べるシャバ飯ってこんな感じに美味しいのかなーなんて思ったり。

 

まだ胃が本調子じゃないし、食べた後ものすごく苦しくてつらいのですが、それでも食事を純粋に美味しく食べられるのが幸せすぎて泣きそう。

 

これからも健康は大切にします。

 


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気がつけば、初夏

久しぶりの投稿です。

突然ですが、春に妊娠がわかり、まもなく5ヶ月(安定期)に入ります。

判明した直後に悪阻が始まり、ごく最近までガッツリ苦しめられていました。(今もまだ完全には終わってない)

そういうわけで、まだまだ安心できない時期であったこともあり、ブログ更新はしばらくの間お休みしていました。





※以下、ちょっと詳しめにこれまでの経過を書いています。



私の場合、妊娠初期の経過があんまり良くなかったので現時点もちょっと弱り気味です。

最初の妊娠確認の時点で小さいけど子宮筋腫が2つくらい?あることがわかり(要経過観察)、次の経過診察で子宮内に出血があることがわかって安静指示が出て(絨毛膜下血腫というやつで、突然出血すると流産の恐れがある)、1回目の妊婦健診の血液検査で血糖値が基準値を超えて再検査になり、免疫力が弱ったためカンジダ膣炎になり、追い打ちで悪阻が悪化して、最悪の時期に糖負荷試験(妊娠糖尿病チェックのための検査でサイダー瓶を1本吐かずに飲み切ったあと計2時間かけて3回採血される)をする羽目になるという色んなトラブルオンパレード。

いや、もっと大変な思いをする人もたくさんいるのだろうけど、今まであまり病院通いしたことがない自分にとっては突然自分の体が自分のものではなくなったかのような感覚で、結構辛いものがある妊娠初期でした。

もろもろトラブルのその後の経過は大体良好で、絨毛膜下血腫は無事子宮内で吸収されたっぽいし、カンジダもお薬もらって1週間ほどで治ったし、糖負荷試験は無事パスしました。

血糖値については、妊娠前は健康診断でいつも低血糖と言われるので、こんな早いうちから引っかかったのはちょいショックだったなぁ。



他にも普通に動いてるだけでもものすごい疲労感があったり等ありましたが(幸い強い眠気、頭痛等はありませんでした)ここまでとにかく何より辛かったのは悪阻で。

悪阻が始まった4月中はいわゆる食べづわりっぽくて、飴を舐めたりちょこちょこ間食していればなんとなく誤魔化すことができていたのですが、5月に入って急激に悪化して吐きづわりにシフトし、そこから毎日吐き続けていました。

結果、吐きすぎて喉が擦り切れて吐血(自分でも引いた)、1ヶ月強で一気に6キロ痩せました。でも運動してないので体はぶよぶよ・・(笑)

怒られるかもしれないですが、正直、こんな目に遭う恐れがあると事前に知ってればもっと慎重になったし警戒もした(したところで回避できないだろうけど)。

私は、出産と育児に対する恐怖心は妊娠前から強かったんだけど何故か悪阻はノーマークに近かったんですよね。完全に甘く見てました。反省。


その後、本当に申し訳ないと思いながら1週間ほど仕事を休んでしまったところで何とか病院に行って薬や漢方を処方してもらい、点滴も提案されたけど水分はとれていたので別にいいかと思って断りました。(今思えばそんなに水分とれてなかったけど)

その日のうちに主治医の先生が母権連絡カード(診断書のようなもの)を書いてくれたので、そこから6月上旬までは休職。

母権連絡カードの期間が明けた後も、上司が気遣ってくださってテレワークできる業務を振ってくれたので、今週いっぱいは自宅で過ごす予定です。

来週以降はまだ決まっていないですが、悪阻の終わりは見えつつあるものの完全元通りではないし、何より体力がかなり落ちてしまったので、出勤とテレワークを交互にやる等して徐々に元の勤務形態に戻る期間をもらえないかなあ・・・と思ったりしてます。




ここまでの間、最も身近な存在である夫はよく嫌な顔ひとつせずにいてくれたなあと思います。

大袈裟に心配するわけでも気の利いた声掛けをマメにしてくれるわけでもなかったですが、自分も繁忙期で疲れてるだろうに家事は私ができなくなったところも含めてほとんど代わりにやってくれるし、コンビニで必要なものを買ってきてストックしてくれるし、辛い時は黙々と体を擦ってくれたり等とにかく根気強く寄り添ってくれました。

あとは、ちょっと下の話で申し訳ないですが悪阻が悪化する前に夫からしたそうな雰囲気を何度か感じましたか、私は気持ち悪さもあるし子宮内の出血もあるのでしたいと思えなくてやんわり断ったのも普通に受け入れてくれた。

私もこんなに長い期間何も無いのは初めてなのでちょっと不安だしくっつきたい気持ちはあるんですけどね。

我慢してくれて当たり前かもしれないけど、一方でこういうのも積み重なると不機嫌になる男性多そうだなと思ったり。(まーそんな若くないから平気なのかもしれないけど)

実際、何ヶ月もずっと具合が悪くて寝てばかりの人と一つ屋根の下で暮らすのって結構ストレスなんじゃないかと思うんですよね。

悪阻を「仮病だ」とか「大袈裟」と言ったり、日常生活に支障が出ていることに不満を抱くパートナーもちらほらいると聞きますし。

買い物を頼むのさえ「プレッシャーを感じるしパシられてるみたいでなんかやだ」と言う人もいるようで、これ聞いた時は愕然とした。

私がこんなこと言われたら泣いてキレ倒してしまいそう。

そりゃネットスーパー使ったりとかある程度工夫はできるけど、そもそも悪阻がキツイ時期にキッチンに立てる人は少ないし、たくさん食材を買っても無駄にしちゃう恐れがあるので、それなら割高且つ送料のかかるネットスーパーで買うよりはすぐに必要な分だけの買い物を夫に頼みたいって人は多いと思うのに・・・。



あとは、他の家族の存在もとても心強かった。

実母はちょっと前時代的なことを言ってきたり等、え?と思うところもあったけど、その分姉がすごく親身に寄り添ってくれました。

姉に子供はいないですが、同年代の子持ちの友達の話等をよく聞いているのであれこれアドバイスしてくれたり、とにかく無理しないように、今は甘えていいんだと言って励まし続けてくれました。



職場の上司も、妊娠報告してしばらくしてから仕事に出られなくなった私に「そこまでしてもらっていいのだろうか?」と思う程の心配りをしてくださいました。

マタハラをされる職場もあることを考えると、かなり恵まれていると思います。頭が上がらない・・・。


ほんと、今後職場でもそうですが町中でも妊婦さん見かけたらもっと気遣える人間になりたいと思います。

見た目には順調・健康な妊婦さんなのかどうか全然わからないですし、たとえ特に問題がなかったとしても体内で命を育むことによる自覚のない負担は確実にかかっていると思うので。




あとは、自分の妊娠報告を周りがどう受け取るのか? というのも最初はちょっと気がかりだった。

もし子育ての負担とかが原因で夫婦の仲が悪くなるくらいならずっとふたりきりでも良い、というのが夫の直近の意見だったので、あまり喜んでもらえなかったらどうしようと思って検査薬陽性出た後も1週間くらい黙ってたし(笑) 

でも伝えてみたら「えっほんと?」と言ってニコッとしてくれた(ニヤッとの方が近かったかも)ので、それ見てホッとしました。顔に出る人なので。

実両親も姉も喜んでくれて、普段連絡不精の父がすぐに「おめでとう」とメールをくれたり、義両親も楽しみにしてくれているようだし。

私は、自分の身に起きたことで周りが喜んでくれるのが何故だか意外に感じて、そわそわするんですが。

でもよくよく考えたら、私の親族と夫の親族ほぼ全員と血が繋がった子供が産まれるってすごいことだよなぁと思った。

皆の血が入ってるって、え〜?って改めて色んな意味でショック(?)で。

血の繋がりなんてそんな意識したことないし、たとえば養子縁組だって立派な家族だと思うんだけどね。




そんな感じで、だいぶ周りの人達に助けられながら妊娠初期を過ごしました。

ただ毎日、今日も子が生きていますように、健康に無事に産まれて来られますように、私が今を耐え切ることができますように、と繰り返し祈るだけの日々でした。(それは、これからも続くでしょうが)

やっと強い吐き気から解放されて長時間起き上がっていることができるようになってきたので、この調子で回復できればいいな。

先のことを考えたり準備したり全く何もできていないので、必需品揃えたり出産後の勉強をしたり等も追々始めたい。


あまりネットで触れたくないですが、アッキーナのような辛い例もあるので、安定期という言葉に安心しすぎず、慎重に、しかし気負いすぎずに過ごしたいです。

春は憂鬱も含めて春

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春が好きですが、3月も中旬頃になると異動の話がちらほら出てくるので、自分に異動がなかったとしても何だかソワソワして落ち着かなくなります。

思えば学生の頃から入学式や新生活に馴染む期間が苦手でした。

小学生の頃は入学直前に髪の毛を母親にバッサリ切られて男の子と間違われまくるし、出席番号が最後だった中学の入学式では何故か私の分の椅子が一脚足りなかったし(これは流石に今思い出しても可哀想だわ・笑)、高校入学後初の身体検査では私の名前が見ようによっては男みたいだから「お前は俺の影武者になれる」という理由でチンピラみたいな男子に何故か学生証を奪われた。

そういういざ!って時になんかよくわかんないトラブルに見舞われる星の下に生まれている気がしていた。


新しく人間関係を作るのも憂鬱だし、新しいことをするのがそもそも苦手。

でも、友達作りは得意じゃなくてもクラスから浮いたことは無いし、職場で孤立したこともないので、社会の中で生きる能力はわりかし高い方なのだと思います。


とは言え小さい頃からそうだったわけではなく。

私には2つ離れた姉がいるのですが、未就学児~小学一年生の始めの頃はいつも姉にくっついて姉と姉の友達と遊んでいました。

すると何が起こったかと言うと、姉の友達がこぞって私を苛めたんですね。

苛めと言っても、しつこくからかわれたり皆で遊んでいるのに一人だけ置いて行かれたり除け物にされたりとか、そんな可愛いレベルのものではありましたが、姉は私がちょっかいを出されていても傍観していたし、何なら二人で遊んでいる時もほとんど無視されてました。きっと小五月蝿い私がウザかったのでしょう。

大人になってからその時の話をすると、姉は「abomiはちょっとからかいたくなるような可愛げがある子だったんだよ(ただし五月蝿いところは本当にウザかった)」とフォローするのですが、子供の頃の2歳差って結構大きいし、当時はそこそこ辛かったんですよね。


一方で、不思議なことに同級生の中に入ると自分で言うのも何ですが私はなかなかに好かれました。

これは何故なのか未だにわからないですが、幼稚園も小学校以降も、自分から何か働きかけたわけではなかったけどどちらかと言うと人から好かれたし、苛められたこともありませんでした。


ただこれ、今になって分析してみると、私は未就学児の頃に姉の友達に苛められ続けたおかげで「人から舐められない処世術をかなり早い内に身につけていた」とも言えるかもしれないと思うのです。

と言うか、そうなんだと思います。

何故なら、私は比較的小さい頃から他人の顔色を必要以上に観察する子供だったからです。

相手がどんな感情か、何をしたら喜び、怒り、どんな態度を取ったら侮られるのか、なんとなくですが、感覚的にわかっていました。

何でそんな風になったかと言うと、元々私が持っていた特性もあったと思いますが、やはり姉の友達との関係性もあったと思いますし、もう一つの原因としては、親・親戚に姉と比べられていてそこまで手放しに可愛がられなかったというのも大きい気がします。

私の周りで、姉と私を比べないで分け隔てなく無条件に可愛がってくれたのは母だけでした。

父はそもそも自分で自分の世話をできない幼い子供を煙たがっていた所があるし、祖父母はすぐ怒る怖い人だったし、母方の親戚は姉の方を特に可愛がっていました。(これも私があんまり懐かなかったから仕方ないでしょう)

そういう背景から、「等身大の自分は好かれない」が私の一番最初のデフォルトになってしまったような気がします。


就学後に同級生から好かれるようになったなら、その環境を素直に享受すれば良いのだろうけど、自分としては好かれることが不思議で警戒心の方が強かったように思います。

本当の私のことをあまり知らないから、この人は私に好意的に接してくれるんだろう、と心の何処かでいつも思っていました。

だからと言って世をすねて孤独を愛するようになる・・・ってことでもなかったですが、そこはかとない寂しさは常にありました。贅沢かも知れないけれど。

この感覚は大人になってからもずっと尾を引いていて、未だに家から一歩に出た後の自分は、別の何者かを演じているような気分になることがあります。


こんなことを書いていますが、だからと言ってそのことを物凄く悲観的に考えているわけではなく、生きづらさが無いわけではないけどまあいっか・・・・(自己完結)くらいには吞気に構えているので病んだりすることはないのでしょう。

私のような内弁慶な人は、自宅や自分のスペースを居心地の良いところにするとすごく精神が安定する気がします。

私の場合は、学生~新社会人時代よりも、一人暮らしを始めて自分で自分の暮らしをデザインできるようになってからの方が圧倒的に気持ちが落ち着きました。

リラックスできる家にじっとこもっていてもいいし、そこを拠点にして(帰る場所があるという安心感)外に出かけていくことは、なかなかに楽しいことだ、と30歳になってようやく身に染みてわかるようになってきた気がします。

お題「ささやかな幸せ」