自己紹介がてら自分が好きなこと、もの、に関してつらつら書いていこうと思います。
という訳で、第1弾。
abomiの構成要素 Ⅰ読書
+ 読書が嫌いだった
社会人になってからずいぶん経ちますが、これまでずっと本や文書を扱う仕事をしてきました。
就活時に、これまで勉強してきたことと単純に好きなことを仕事にすることと、どちらをとろうかと考えた結果の選択でした。
学生時代に勉強してきたことを無駄にしたというわけではありませんが(少なくとも私はそう思ってる)、やっぱり自分にとって興味が尽きないものを毎日仕事として扱えるというのは良いものです。
そのくらい私は本そのものが好きなのですが、子供の頃は大の読書嫌いでした。
小学生の頃、私は図書室で「自由に好きな本を選んで読んでいいよ」と先生に言われても、何を選べばいいのか分かりませんでした。
そのため、仕方なく目についたものを手にとって開いてみてもピンとこないので、図書室に置いてある名作漫画(手塚治虫とか、サザエさんとか)ばかり読んでいました。これはこれで良い経験なのですが…。
中学生の頃は生活が部活づくしで課題図書すらきちんと読まずに過ごし、ようやく高校生になってから読書に目覚めました。
まずは伊坂幸太郎等の大衆文学に嵌まり、徐々にファンタジーやらミステリやら純文学を自主的に読むようになりました。
遠藤周作
母が元々遠藤氏のことが好きで、実家の倉庫にガビガビになった古書があり、その大半が遠藤周作でした。
遠藤氏は戦後の有名なキリスト教作家ですが、この人が生涯自分の小説の大テーマとしたものが私はとても好きで、深い共感を覚えます。
私が初めて読んだのは”沈黙”という小説です。
一昨年に映画化もされていますね~。
この小説のテーマを知った時、すごく驚きました。
こんなデリケートな問題をテーマにするなんて…挑戦的な人だなあと。
史実にある切支丹弾圧時代を題材にして、人々の苦境の前に沈黙を守り続ける(かのように見える)神について書いています。
これって理不尽な力に蹂躙される人間にとっては、どの時代でも切実なテーマですよね。
誰も本当にはわからないことに対して、真正面から疑問を投げかけるって勇気がいることだと思うのです。
でもこの人はそれをやらずにはいられなかったんだ!
小説家としての人生をそこに投げ込んで、一生を費やしてこのテーマと向き合ったんだ!
と思うと、胸が熱くなります。
文学としては暗い話ばかり書く作家ですが、本人は至って明るいひょうきん者で、エッセイは悪ふざけに満ちており、遠藤氏自身「俺は数年ごとに暗い話を書くが、だからと言って遠藤は人生に悩み抜いているとは思われたくない」という言葉を遺しています。
こういうところも魅力の一つです。
恩田陸
恩田陸は専門学生時代にすごいハマりました。
初めて読んだのは”ネバーランド”で、夜通し夢中で読んだのは”麦の海に沈む果実”。
一番好きな作品は“ユージニア”、エッセイなら“小説以外”です。
恩田陸は着地点のない小説を書くことで有名(?)ですが、私はそれ以上に恩田さんの言葉選びがすごく好きで、当時は本当に夢中で読んでいました(気に入った文章をノートにメモしたりしていた笑)。
夜のピクニックとか、毒の無い青春ものが有名だけど、恩田さんが本領を発揮するのはやはり艶やかな不気味さのあるミステリ小説だと思います。
あとは、あとがきやちょっとしたコラムで書かれる恩田さんの読者としての情熱や、食に関する話が好きですね。
「自分は作家になったけれど、同時にいつまでも熱心な読者であり続けたい」というようなことを本人も言っているくらい、大の読書好きな方なのです。
食については、恩田さんはビール党でビールに合うおつまみ作りのことを書いてくれたりもするので、すごく楽しい。
私もビール党なのでね!ビール大好き!!
村上龍
村上龍も同じく学生時代に初めて“限りなく透明に近いブルー“を読んで衝撃を受けました。
好きなのは“コインロッカーベイビーズ”ですが、彼もエッセイが刺激的で面白いのですね。
最近は角がとれた…というか、世の中への憤りや不満が沈静化して諦めモードというか、昔よりも勢いを無くしてしまった感は否めないのですが(笑)
“すべての男は消耗品である“シリーズが好きなんですけど、できればリアルタイムで読みたかったなあと思う。
同世代にこんな尖っててセンセーショナルな人がいたら楽しかっただろうな。
基本的にエッセイでは世間に対する文句が多いのですが、他の人だったら不快に感じそうな言葉や作中の文体も、村上龍が書くと不思議に美しく文学として昇華されている気がして、これはなかなか上手く説明できないのですが、とにかく心地よくて好きなのです。
上橋菜穂子
中でも“精霊の守人“シリーズはすごい。
分類は児童書ですが、内容は大迫力の大河で大人が読んでも(というか大人が読むからこそ)面白いです。
せっかくだし有名ファンタジーは一通り読んでおくか~くらいの気持ちで読み始めたんだけど、想像以上に面白くて読後すぐに母姉にオススメし、読んでもらったところすこぶる評判が良かったです。
上橋さんは作家である傍ら文化人類学者でもあります(いや、逆か?)。
子供の頃から作家になりたいと思っていたけれども、まずはそれを書けるだけの知識が必要だという判断から、学者を志したのだとか。
そのためか、作品世界に出てくる架空の国の文化設定がどれも緻密で現実にどこかに存在しているんじゃないかと思えるような内容です。
登場人物も皆魅力的なので、ぜひぜひ多くの人に読んでもらいたい!
まだまだ語り足りないので、追々書いていきたいと思います。
読書とは命綱
思春期の私にとって、本は自分に足りないものを探し、補う作業をするための大切なツールでした。
無邪気な小学生時代を経て、多忙な中学生時代を光陰のごとく過ごし、高校生になった時に「自分は何がしたいのか?」「何に興味があるのか?」「学校でやらされることに意味はあるのか?」「もっと有意義な時間の使い方があるんじゃないか?」「何故こんなに色んなことがつまらないのか?」「何故皆が楽しんでいることを素直に楽しめないのか?」と沢山の疑問が沸いてきて、決して真面目な高校生ではありませんでした。
友達は好きだったし、学校のイベントも参加してみればそれなりに楽しいのだけど、何か違う。
私がしたいことはこれじゃない。虚しいような、寂しいような気持ち。
そんな感情に押しつぶされそうで辛くて、この鬱憤をどこへやれば良いのかわかりませんでした。そんな時に、無心で没頭できたのは読書だけでした。
面白い本を読んだ時、その頃の気持ち、その時いた場所、年齢、すべて鮮明に思い出せます。
幸福な読書体験とは、形には遺らない記憶の中の財産であり、いつまでも色褪せることがないのだと思います。私は、若い頃にその幸せを知ることができて、本当にラッキーでした。
物語の美しさ
村上龍が“はじめての文学”という中高生向けの読書案内本にこんなことを書いています。

- 作者:村上 龍
- 発売日: 2006/12/06
- メディア: 単行本
高校生の頃、フランスのジャン・ジュネという作家の作品に衝撃を受けた。ジャン・ジュネはホモ・セクシュアルで、私生児で、しかも泥棒だったが、翻訳を読んでも彼の小説は美しく、力に満ち溢れていた。わたしは、ホモセクシュアルや泥棒という小説の題材に惹かれたわけではない。どのような汚辱に満ちた世界を描いても作者に十分な動機と才能があれば小説は際限なく美しく強くなり、読むものに生きる勇気を与えるのだと知った。
正にその通りだと思う。良い本との出会いは「読むものに生きる勇気を与える」んです。
私は、そうやって根暗な思春期を生き抜いてきました。
そうしないと辛くて仕方なかった。
自分で言うのもなんだけど、小器用で人当たりは悪くないので周囲の人たちに決定的に嫌われることはなかったけれど、本当に心を許せる友達もいなかった。
贅沢なことを言っている自覚はあるけど、それでも寂しさというのは主観で、私はあの時どうしようもなく寂しかったのです。
だからこそ、読書は自分の人生から決して切り離せない大切な要素の一つなのです。これのお陰で、今、なんとか生活していられるという気持ちです。
長くなりそうなので、ひとまずおわり。