【兎の眼】美しくあるための抵抗

兎の眼 (角川文庫)

兎の眼 (角川文庫)


あまり期待せずに読み始めた、初・灰谷健次郎

昔、児童書を扱う仕事をしていたので有名どころは一通り読んでおこうと思って積ん読していたのだ。

他にめぼしい本がなかったから何となく本棚から引っ張り出してみたけど、いつだったかの夏フェアで装丁が可愛らしく変更されていて不意にときめく。

好き♡


鉄三ちゃん


あらすじは以下の通り(wikiより)

ゴミ焼却場のある町の小学校を舞台に、大学を卒業したばかりの若い女性教師が直面する出来事や出逢いを通して、児童たちと共に成長する姿を描いた作品。
22歳の新任教師である小谷(こたに)先生が受け持った1年生のクラスには、石のように押し黙ってしゃべらない「処理所の子」鉄三がいた。「教員ヤクザ」のあだ名を持つ同僚の足立先生は、小谷先生が鉄三のタカラモノを見落としているかもしれないと示唆するのだが…。


冒頭には驚いた。

兎の眼”は、主人公の小谷先生がクラスで蛙の生態実験をしようとしていたら、生徒の一人である鉄三が突然怒り出してクラスメイトが捕まえてきた蛙を引 き裂いて殺してしまうという少々過激なシーンから物語が始まる。

人と関わるのが苦手で口数が少ない彼は、今で言う軽度の自閉症なのかも?と思えるような子供だ。


鉄三はゴミ焼却場で働いている祖父と二人暮らしをしていて、焼却場の敷地内にある家に住んでいる。

その環境故に、鉄三は蠅をペットの代わりとして可愛がっていたのだが、その蠅をクラスメイトが実験用の蛙のエサにしてしまったことに怒って、先のような乱暴を働いたのだ。

普通は蠅なんてペットにはしないし、病気を媒介する危険もあるからと、担任の小谷先生は蠅を飼うのを辞めるように鉄三に言い聞かせる。

もちろん鉄三は聞く耳を持たず、小谷先生に対してますます心を閉ざしてしまうのだが、ここで小谷先生は先輩教師の足立先生が言っていた言葉を思い出す。

小谷先生は、鉄三が持っているタカラモノを見落としているかもしれない・・・。

そして、もう一度注意深く鉄三の相手をしてみた小谷先生はあることに気がつく。

鉄三は、読み書きもできないし人付き合いもできないけれど、蠅に関しては非常に詳しく、しかも小学校1年生の知識を超えて蠅を熟知しているということ、また蠅の精密描写ができるということ。

このことを利用して、小谷先生は鉄三に読み書きを教え、彼との距離を縮めていく。


子供はみんなタカラモノを持っている

鉄三ちゃんの他にも、みな子ちゃんという女の子がいる。

みな子ちゃんは知的障害を抱えていて、同じ年齢の子供のように意思疎通が難しい。

特別学級に行くまでの短い間、小谷先生はみな子ちゃんを自分のクラスで預かることにしたのだが、そこでも問題が勃発する。

良くある話だけど、みな子ちゃんの世話をすることで先生が精一杯になってしまって他の子の授業が遅れてしまうという状況ですね。

他の保護者からのクレームもあり、由々しき事態であることは間違いないんだけど、小谷先生は絶対にみな子ちゃんを手放さないと言う。


そこで考えたのが、みな子ちゃんのお世話当番をつくるということ。

クラスメイトがペアになって、みな子ちゃんの面倒を順繰りに見ていく。

そうすると、不思議にクラスメイト皆がみな子ちゃんに対して愛着を持って接するようになっていく。

みな子ちゃんはただ、天真爛漫でいつもニコニコしていて、悪意がないことがわかったので、皆が大切にするようになったのだ。


現代の小学校でこんな世話係なんて作ったら、たちまちモンペの餌食だろうなと思うけれども、自分が子供の頃にもそう言えばこういう子がいたよなあと思い出す。

別学年だったから関わることはなかったけど、ダウン症で体の小さい女の子だった。

その子の面倒をいつも一生懸命見ていた子が同じマンションに住んでいた男の子で、彼は大人の言うことを聞かないだとかで問題児扱いをされていたけど、そういうところでその子が持つ本当の優しさが垣間見えるのかもと思った記憶がある。

本心はともかく大人の言うことには従順な子供はたくさん居ると思うけど、私はそういう子よりも彼のように守る必要がある者(ある意味で弱者)に対して損得勘定なしに優しく出来る子供の方が好印象で可愛かった。


特別扱いすることはそれ自体が差別だという意見もあるのかもしれないが、それを通して皆が優しくなれるならそれで良いと思う。

子供の頃は本当にそうだった。

出来ない子がいたら、代わりにやってあげることに大した感慨を覚えなかった。

子供はそれを特別なことだと思ってない。

出来ないなら、やってあげればいいじゃん。

それで段々その子が自分で出来るようになったら万歳じゃん。

そのくらいの感覚だった気がする。

そしてその子にはその子の得意分野があるので(本当にちょっとしたことでも良いのだ)、そういうところでは存分に頼らせていただく。

よく笑うみな子ちゃんは、クラスを去る時にはムードメーカーになっていた。

そんな感じで。


子供の自然な優しさが育つ機会を潰したらダメだよね、大人の言い分もわかるけど。


善財童子兎の眼

ある日、子供たちの指導で悩んでいた小谷先生は、学生時代に気に入っていた奈良の西大寺の堂にある善財童子という彫像を見に行った。

西大寺の堂に善財童子という彫像がある。あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。


なるほど、兎の眼はここから来ているのか~と納得。

善財童子になぜあなたはそんなに美しいのと問いかけた、それと同じ問いができるのだ。わたしはなぜ美しくないの、きのうの子どもたちはなぜ美しくなかったの、と。処理場の子どもたちのやさしさを思った。ハエを飼っている鉄三の意思のつよさを思った。パンをもってかえる諭のしんけんさを思った。わたしは・・・小谷先生は青ざめて立ちあがった。その背にセミのなき声がむざんにつきささった。


ここで小谷先生は、高校時代の恩師の言葉を思い出す。

「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」


うーーん児童文学、深い・・・・。

この物語の中には、レジスタンス(抵抗)する人が沢山出てくる。

鉄三が、蠅は害虫だから手放せと言われても決して首を縦に振らなかったように。

足立先生が、学校や保護者たちの体裁の良い教育方針に頑として従わず、ハンストを始めたように。

諭という男の子が、貧困に喘ぐ実家のために給食の残りのパンを”乞食の真似”をして持ち帰ったように。

さらに、バクじいさんの台詞ではこんなものもある。

わたしらがストライキをやったら、たちまちこまってしまいます。わたしはみんなにいいましたわい。そんなだれでもやるようなことはやるな、たちまち人がこまるようなことをとくとくとしてやるな。どんなに苦しくてもこの仕事をやりぬけ。それが抵抗というものじゃ。


私は、ここでは特に諭の振る舞いがポイントのような気がした。

家で食べるものにも困る諭は、きっとなんとかしてパンを家に持ち帰りたかった。

そこで考えたのが、道化を演じることだった。

クラスメイトに対して乞食の真似をして戯けることで、なんとかその場を堪え忍んだのだと思う(そうしたら皆引かずに笑ってくれるでしょ)。

これも立派なレジスタンスだったんだけど、小谷先生はすぐには分からず、驚いて諭を強く叱ってしまった。

その後に彼女は善財童子を見に行ったのだ。


では一体、彼らのレジスタンスは何に、誰に対するものなのか。

それは世間からの差別や理不尽、惨めな状況、あらゆる既成概念に対して自分の”人としての尊厳”を守るための抵抗なのだと思う。

皆が当たり前だと言うから自分もそうするのではなく、自分はこう思うから、こういう立場だから、そういう理由で行動する。

それが如何に難しいことか、そして、世論に流されることがどんなに簡単か(それともこんなことを考えるのは日本人だからなのか?)。

常に多数派に属している人たちにはきっと分かりづらいことだろうと思う。


そんなことを考えていたら、灰谷健次郎先生のエッセイを発見。

ふーむ、良いタイトルだ。内容が気になる。

いずれ読みたいリストに入れておこう。


子供の個性

最近、教採に受かった友人がいる。

彼は小学校の先生になるのだが、お祝いに際してこの本をあげたいな~とちょっと思っていたのだが完全に機を逸してしまった。


小・中学生の頃によく感じていたのは、個性が強い子ほど大勢の中からあぶれていたなと。

でもそういう子たちには、絵がすごく上手だったり、読書が大好きで色んな本を読んでいたり、それ故文才があって文集の内容がすごく面白かったり、或いは何かひとつでも夢中になれる趣味を持っていて、それに関してすごく詳しかったり等の特徴があった。

私はそういうのに目敏いので、興味がある!と思うと自分から積極的に近づいてそんな子たちに話しかけていた。

当時は無自覚だったけど、今思えばそういう子たちが自分には無い何かを持っているような気がして魅力的に映ったんだろうな。

しかし、自己主張をしないタイプの人が多かったからなのか、大抵そういう子は周囲からの評価は低めで、それ故に「なんでabomiはあの子と仲良くするの?」というようなことをしばしば言われていた記憶がある。

まあ余計なお世話だよねって。


教師にとってもそれは同じみたいで、大体が明るくてハキハキしててクラスの雰囲気を左右するような子供を特に可愛がるんだよね(もちろん、子供の隠れた才能を見つけて褒めてくれる人もいたけど)。

一見その子の良さは隠れて見えづらいけれども、やっぱり子供はみんなタカラモノを持っているんじゃないかって、この本を読んだら改めてそんな気がした。

教育者としては、子供たちそれぞれの個性の良いところを見つけてそこを伸ばす教育をして欲しいよね!

なんて意味づけをしてこの本をプレゼントするのはさすがに押しつけがましいか。

でもいずれ、さりげなく「子供の気持ちを思い出せる良い本だよ」とでも言って手渡せたらいいなあと思うのだ。

読了!