構成要素Ⅱ 信仰 - ①

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前回の記事にてちょっと宗教的な話をしたので、引き続き自分の宗教観についてフォーカスしたいと思う。

前回の記事↓
abomi344.hatenablog.com

ブログ開設初期に、自己紹介がてら自分好きなこと、普段考えていること等々を順に記事にしていきたい、というようなことを書いたのですがその後放置していました。

せっかくなのでその続きとしても書きたいと思います。

abomiの構成要素 Ⅱ信仰


私は、23歳の頃にキリスト教カトリックの洗礼を受けています。

何故かというと、学生時代にたまたま聖書に触れる機会があり、教会で勉強し、深く納得した上で自分で自分の信仰を選びたいと考えたためでした。

+ 何故、キリスト教

まず、単純に聖書に興味がありました。

もともと読書や映画鑑賞が好きだったのですが、欧米の作品を嗜んでるとキリスト教文化はまず避けて通れない要素ですよね。

美術や音楽だって、勉強していけば必ず宗教的なテーマを含んだ作品に触れることになる。

自分のバックグラウンドにキリスト教色が全く無かったとしても、必ずどこかでそうしたものに出会う機会があるはずです。

ただ鑑賞するだけなら特に気にせずスルーするでしょうが、どちらかと言えば凝り性な私は、作品の背景が気になる!わからないことはちゃんと知りたい!と思っていました。

そのとっかかりとして、聖書に興味を持つようになりました。

+ 見つからない聖書

18歳の頃にある人を通して実際に聖書を読む機会を得ました。

それまでは、いつか読んでみたいな~くらいの気持ちで、そもそも聖書ってどんな書物なの?というレベルの無知でした。

そのため図書館に行っても聖書を見つけられず、まったく見当違いの本を借りてきたりしていました。
 

そんな私に改めて聖書を読むことを薦めてくれたのは、専門学生時代の恩師でした。

当時この先生が、自分が若い頃に読んだ本をリスト化したものを学生に配っており、その中に聖書がリストアップされているのを見た私は、聖書とはどんなものなのか?と尋ねました。

事の経緯を知った先生は、もう一度図書館に行って自分で探してみるように私に薦めました(このワンクッションが大事だったなと後で思った)。


それでも見つけられない私(無能)に、先生は自分が持っていた新約聖書の一冊を与えてくれたのでした。

この時が、私が初めて聖書を手にした瞬間でした。

先生は、聖書は難解で、曲解すると危険な書物であるとを教えてくれました。

実際カルトと呼ばれる新興宗教は、聖書の一部を独自に、しかも悪い方向へ解釈することから発することが多いようです。オウムも終末論的なこと言ってたしね。

そのため、良ければ時間を取って一緒に読み、勉強しましょうと提案してくれました。

+ 勉強嫌いが見つけた興味関心事

私、昔から勉強ってあんまり好きじゃないのですが(爆)

生きていくために最低限の知識が必要なのは当然だし、学歴も高い方がいろいろな可能性が広がるのが日本社会の現状なので勉強が好きで出来るのに超したことはないと思うんだけど、如何せん当時はやる気が全く無かったのだ・・。


そんな私が高校卒業後に進学先として選んだのは、潰しが効く専門学校。

そこで、自分が興味を持てる勉強をしてさっさと就職したかったのです。

でも在学中に最も興味を持ったのは、専門科目からは斜め上にズレている“宗教”というものでした(都合良く宗教学を囓った、と言ってもいいかな。実際選択科目に含まれていたので)。


専門科目を勉強するのも楽しかったけど、それからは宗教学の方をモリモリ勉強しました。

単位にならないことなので無意味と言えば無意味だけど、私にとっては後の人生の大きな財産になる時間だったと思っています。

友人を含め、時には先生とマンツーマンで、聖書とはなんぞや?神とは?そこから派生する様々な問題は?歴史上どんなことが起こった?どんな人物がいた?etc

ということについて延々と、聖書・参考書物・映画・ドキュメンタリー等を使いながら論議していました。

+ そうだ、教会に行こう

私はそう思い立って素直に行くような人間ではなかったですとも、ええ。

元来警戒心の強いタイプだし、実家に別の宗教があったので、そう易々と行くわけにはいかぬ・・・。

通常モードならそう考えたと思いますが、先生がある日ふと思いついたかのように、

「今日は、授業が終わったら教会行ってみる?」

と聞いてきたのです。

私はあっさり「はい(^o^)」と答えていました。


そもそも宗教をはじめとした勧誘が嫌われるのって、勧誘してくる相手のことをよく知らなかったり、もしくは知り合いではあるけど不自然なかたちで近づいてきて突然誘われるからビックリして不快感を抱くからだと思うのだ。

損得勘定なしで付き合ってくれてたんじゃないんだ・・というのがこれほど分かりやすいことはないから余計にね。

ただ、私にとってこの時点で先生は信用に値する人だったし(また、先生には損得勘定など一切無かった。私を勧誘できたからと言って、先生が得することなんて1つも無いからね)、段階としても実際に教会を見に行ってみるには良い機会だと思ったのです。

とは言え、最初に教会に行った時の記憶はスポーンと抜けてもう覚えてないのですが・・(笑)


つづきます。

abomi344.hatenablog.com