おばあちゃんが嫌い②

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abomi344.hatenablog.com

つづきです。


ただ可哀想だと思っただけだった

我ながら恐ろしくて、「早く死ねばいい」と思ったことは1人の神父様にしか言ったことがない。

神父様は、私がこのことを口にした瞬間「もうそれ以上言わなくていい」と言って、抱きしめてくれた(※スペイン人)。

私がS会の家系出身であることを知っているこの神父様は、それ以来ずっと私のことを気にかけてくださっている。

たぶんその1番の原因は、私の上の発言↑なのだと思う。


怒りとか嫌悪感とかで、自分の中がここまでグラグラと煮えたぎる気持ちを、私は祖母に対してしか感じたことがない。

その上で、今まで良くしてもらった、たくさん優しくもしてもらった、祖母は私たちのためだけを考えてくれている、という気持ちを捨てることもできない。


私は、カトリックの洗礼を受ける直前に祖母にこのことを言った方がいいのではないか?とずいぶん悩んだことがある。

ある人は「それが裏切りだと思うのなら言いなさい。でも、それで不要な諍いが生じるのなら言わなくてよろしい」と言った。

そして両親からは「絶対に言ってくれるな」と言われた。


私という孫なんてたくさんいる中の1人なのに、それでも祖母はきっと泣くだろう。

老い先短い祖母に、わざわざそんな傷つくようなことを言うのは酷だ、と思った。

怒りと嫌悪と、感謝の気持ちと、それを上回って「可哀想」という気持ちが勝った。

そして、私がこのことを言ったら、祖母がなにがしかの行動を取るとして、その矛先がすべて母に向くだろうことは明白だった。

母は嫁に来た身だから、立場が弱いのだ。母を守るためにも、私は言うべきでないと判断した。


でも心の底では呪ってるのかもしれない

毎年1度だけ会う時、私は心の中では「早く死ねばいいのに」と思っているのに、笑顔で話しかけてわざと祖母が喜ぶようなことを言う。

そして、祖母が喜んで「お前は良い子だなあ」と言うのを聞いて、一種恍惚とした気持ちを覚えるのだ。

私自身もどちらかというと、祖母から姉と比べて「聞き分けのない子だ」と言われてきたから。

少しでもそういう感情が芽生えることも、本当は死ねと思っている相手に対してどの口がそんなことを言うんだよ、というようなことを平気で言える自分にも、心の底から嫌気が指していた。

それに加え、今年は従姉妹のことがあったので余計にやる瀬なくて「これは飲むしかない(何故)」と思って、その日は深酒して母に半分担がれて帰った。


そんなこともあり、「来年はもうどうしても行きたくない。もう行かなくていい?」と、この前母とご飯に行った時に聞いてみた。

すると母は「あなたもういくつだと思ってるの(年齢)?ばあちゃんには彼氏と出かけてるって言っておくから、大丈夫」と言ってくれた。

それで、私はどういうわけか物凄くホッとしたのだ。大袈裟かもしれないけど肩の荷が下りた気がした。


血縁のある人を嫌うということ

世間では親を嫌う人は子供だとか、育ててくれた恩を仇で返すとかよく言われるけど、私は肉親だからと言って必ずしも相手を愛さなければならないとは思わない。

大抵そういうことを言う人は色んな家族の形があることに対してその人自身が無知なだけだし、肉親だからこそ遠慮がなくて深く傷つけられることもある。

でも、こういう話(ダイレクトではなくても)をすると必ず顔をしかめる人が1人や2人はいるものだ。


体の束縛も、思想の束縛も、家族からこそ受けやすい。

本当は嫌なのに、それを拒絶することがまるで罪のように感じる。


きっと私は、自分の身に起きたことも自分の気持ちも祖母が死ぬまで本人に伝えることは無いと思う。

祖母はそうして周囲に沢山の気を遣わせたまま「自分だけは幸せだ」と思って死んでいくのかなと思うと、未だに恨めしいような気持ちさえする。


私が「おばあちゃんを許せるかわからない」と言うと、件の神父様が答えた。

「許せるかわからない、と考えてた時点であなたは許している。大丈夫、心配しないで」


本当にそうだろうか。

本当に本当にそうだろうか、と。思い出す度にいつも、何度も自分に問いかけている。

まだ答えは出ていない。