友達が多い=正義と思う人へ

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友達が少ないなあ・・と自負しているabomiです。

そんな私にも、指折り数えて片手で足りるほどの友達は一応います。

友達と呼んでよいのかどうかわからない関係性の人もいます。

同僚がいます。

恋人がいます。

両親と兄弟がいます。

正直言って、私が自分の人生において自身の面倒を見ながら丁寧に接することができる人数ってせいぜい上記の~10人くらいだなって思います。

今回は、知り合いと話していてそんなことをふと思ったお話。


友達と話が合わなかった現在まで

私は同世代かつ同性の友達って、いつからか殆ど話題が合わなくなりました。

こういう言い方をすると角が立つと思うけど、本当にそうなので他に言いようがありません。

まず、おそらく私は恋愛ってものに他の人たちに比べると圧倒的に興味がないのですね相対評価が自分ではできないのでイマイチわからないけど)。

普通は小学生以上になれば好きな子の一人や二人皆できるものだと思うけど、私はずっとその中でボーーーッとしていて、いつの間にかそういうキャラになってしまったので友達はいたけど皆私を相手に恋バナをしようとは思わなかったようです。

だから私自身は人生で恋バナってほぼしたことないんだけど、これって10代から20代にかけて常に話のトピック上位に鎮座しているものじゃないですか。

女子同士の友情ではたぶん、その時点ですでにアウトなんです(笑)

私は単純にネタがないだけなんだけど、女子同士って昔から何かを共有することで仲を深めるもんで、その一番のトピックが恋愛だったから、私のようなヤツは嫌われることはないけど本当の意味で相手にはされないのです。

今思うと、友達同士の中ではペット(私)みたいな扱いだったかもなと思う。


でもそのおかげで面倒な抗争に巻き込まれずに済んだというメリットはありました。

最近中学時代の友達と飲む機会があって、友達曰く、中学時代は一部ではすでに男女交際が盛んで、その裏では女子同士の男の取り合い等も起こっていたようです。

皆が同じモテる男子を好きになって、誰かがその男子と付き合うと抜け駆けしたと言われていじめられたり・・・とか。

女同士の友情って儚いけど、その最たる瞬間はやはり男が絡む時のようです。

私はそんなことがあったということを、齢28にして初めて友達の口から聞かされて「女子ってこえー」と思いました。

そして面倒くさい。

聞き及ぶだけでこんなにテンション下がるのに、実際に友達だと思っていた子がそういう場面で豹変するところなんて絶対に見たくない。

というかそこまで女性を狂わせるような魅力的な男性ってそんなに世の中にたくさんいるものなの?私が鈍感なのか?

正直言って、私にはイケメンと非イケメンの区別もあまりついていないのかもしれないと思う。


話が変わって、では皆が恋愛に夢中な時に私は一体何に興味があったのかって話ですが。

小学校時代は学校が終わったら外で遊ぶのに夢中で、中学校は部活で忙しかった。

高校は自分の殻に閉じこもって読書ばかりしていて、専門時代は勉強に勤しみ、20歳で就職した。

そう考えると、私の学生時代=子供時代ってとても短かった。

若いうちにたくさん恋愛せよってよく言うけど、いろんな男性を相手にできるほどのバイタリティもエネルギーもない。

だから私は、数少ない自分がいいなあと思える人に心血を注ぐことを選ぶ。

友達についても同じことだ。


さみしさの中に見つけたもの

そんな私も、10代後半は友達とあまり話が合わないことに寂しさを感じることもありました。

私は恋愛に興味がなかったけど、代わりに人間がどう生きるかということについてとても強い興味を持っていました。

宗教学を学んでいたので自分なりの死生観も持っていて、本当はそういう話を誰かとしたいのだけど、10代後半の子なんて普通はそんなことに興味がないんですよね(20代後半の今も大抵の人が興味がないみたいだけど)。

何故皆刹那的なものばかりに夢中になるのだろう?と、そんなことばかり考えて、まるで自分だけが高尚なテーマについて深い考察を持っているみたいに勘違いしていた時期もあります。

私は、若さにかまけてちやほやされることに満足して、今自分の手の中にあるものが永遠だと信じている同世代にいつも怒っていました。

傲慢だ!と。

何もかもいつかは消えていくものなのに、皆何故先のことを考えようとしないのか不思議でならなかった。

でもそういう考えっていうのは、周りにも薄々バレるもので、仲が良かったけど表面的な付き合いだけで疎遠になってしまった友達も中にはいました。

そのこと自体は、反省しています。


そんな時に良い話し相手となってくれたのは当時の恩師で、母親ほど歳の離れた人だったけれど、未だに仲良くしてくれる大切な人です。

私はこの人のことを友達とは呼ばないけれど、人生においての指導者であり、もう一人の母であり、同士であるようにも感じています。

正直に言うと、単なる友達よりも価値のある人だと思っています。


そして今、本当に気が合う人と付き合えている

私は、話が合わない人と関わっても仕方がないと思うタイプなのでこの通り友達が少ないです。

これ以上話すことないな、と判断した人に対しては自分から歩み寄ることはほぼゼロ。

いつもそんなスタンスでいると、私ってそんなにabomiに好かれてないんだな・・と思って離れていく人もいるみたいだけど、それならそれでいいんじゃない?って感じです。

はた目から見るとすごくドライに見えるのかもしれません。

でも、相手も私のような人間と話してもネタも引き出せないし面白くないと思うのでそれで良いと思っている。


エラそうなこと言うようだけど(もちろん人前でこんなことは決して言わないが)、そうやって付き合う人をシビアに取捨選択してきました。

これって、単純に友達の総数を増やしたい人や人脈を広げたいだけの人は絶対しないことですよね。

そういう知り合いがいないわけじゃないので余計に疑問に思うのだけど、友達の数が多いということを誇る意味って一体どこにあるのでしょう。

「友達多いね」が褒め言葉だと思っている人がわりとたくさんいるということを最近改めて知った私は、特に考えなしで単なる感想としてそういうことを知人に言っていました。

でも私は決して相手を褒めているつもりはなかった。

友達の多さよりも、質の良い友達を持ってその友達にどれだけ丁寧に接することができるか、ということの方が長い目で見て絶対に優先すべき事項だから。

むしろその知人は、手に余る数の友達を大切な場面で切り捨てるようなマネをしなければならないくらい人脈とやらを脹れあがらせていたので、おろかなことをするもんだ・・と呆れています。

これだけSNSが盛んな時代で、人付き合いが可視化されているから余計に皆友達の数が気になるのでしょう。

そんなことに囚われて窮屈だったり惨めな思いをするくらいなら、全部やめちゃえばいいのにね。

いかに綺麗な写真を取ってSNSに上げるかということに膨大な時間を使うくらいなら、映画の一本や二本、本の一冊や二冊でも嗜んだ方が、少しはモノの見方も成長するし「まともな大人」同士の話題は確実に広がります。

嫌味ではなく、これは事実だと思う。

だって、いい大人がある程度の文化を嗜まずに一体どんな話をすると言うのか。


ともあれ、私はそうして自分が本気で大切だと思えて、意義のある会話ができて、助け合うことができる関係の限られた人が自分の人生にいてくれるだけで十分です。

人間関係って、そのくらい整理整頓されててもいいんじゃないかなと思うのです。

以上、ひとりごとでした。