【女生徒】「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました

女生徒 (角川文庫)

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太宰は昔、ちくまの太宰全集がどうしても欲しくて父親にねだって誕生日に買ってもらったことがあります。これね↓。装丁が美しく、本棚に並んでいるだけでうっとりします。

太宰治全集 全10巻セット (ちくま文庫)

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太宰はおっさんなのに何でこんな女の子の気持ち書けるんだよっていうツッコミはさておき

太宰と言えば1番に思い浮かぶのは人間失格だと思うけど(もしくは走れメロスかな)、私はこの「女生徒」という短編が特に気に入っています。

若い女生徒の独白に始まり独白で終わるというちょっと独特な短編なんですけど、この女生徒の雑然とした思考回路がすごくすごくよくわかるんですよね。

言ってることにとりとめがない上にとっちらかってるんだけど、ふとした瞬間に的を得たことを言うので痛いところを突かれたような気分になる。

10代の頃読んだ時にも、私もこんな感じで何もできないのに夢ばっかりみて、周囲を敵視して腹の内では悪態をついているのに上辺は良い子ちゃんぶってる子だな、と思った記憶があります。


心に残った文章として、当時から書き留めていた箇所はこちら。

「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。美しく生きたいと思います。

何故だろう、この文章を読むと、今でも胸がきゅーんとして、しくしくと痛む気がする。

この真っ新で真っ当な切なる願いが、きっと沢山の少女たちの胸の内に今も燻っているのだ。

そんな子達に、「本当にそうだよね」「そんなふうに生きたいよね」「でもなんだか上手くいかないんだよね」「だから寂しいし哀しいんだよね」と、ちょっと囁いてみたい。


ちなみに、太宰はおっさんなのに何故女性の心情描写に長けているのか(「斜陽」然り)ということについては、小説を書く上で奥さんにアドバイスを貰っていたという逸話があるといつだったかTVの特番で言っていた気がする。

だとしてもリアルすぎて・・・気持ち悪い(褒め言葉)。


意味のあることだけをしていたい、という気持ちは今も変わっていないけれど

そしてこちらの文章も未だにお気に入り。

私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指差して、あそこまで行けば見晴らしがいい、と、それは、きっとその通りで、微塵も嘘のないことはわかっているのだけど、現在こんなに激しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しの我慢だ、あの山の頂上まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。きっと、誰かが間違っている。わるいのは、あなただ。


これを読んだのは、はっきりと覚えている、確か専門時代に「早いとこ進路を決めろ」「就職にせよ進学にせよ、具体的な志望動機を示せ」と教師達に詰め寄られていた時期だったと思う。

当時の私は、将来の目標を「今」決めて、それに向かって具体的に何かをするほどのビジョンがまだ自分にはないことがわかってた(専門学校に行っておいて何言ってんだって話だけど)。

それに、正直言って『やったことがないから当然分からないこと』に対して、具体的な志望動機を示せも何もないと思っていた(これは今でもちょっと思ってる)。

就活と称して執拗に掘り下げた自己分析や企業研究をやらせて、それで?と思う。自分のことを客観視できる、企業について詳しい。それで?

どんな志望動機を絞り出したところで、それは大人が認める受けが良い常套句でしかなくて、学生にとっては単なる希望か妄想でしかない。

そこに「働く」という現実がないことが、未だにとっても不思議なのだ。


だがしかし、それが日本社会の仕組みでそういう段取りを踏まないとまともな企業への就職は難しい・・というのが現状。

そしてこれらのことをきちんとパスできる人たちが優秀だというのも確かなことだ。

私はそういう人たちを尊敬するけれど、実際のところ就活の中身について彼らはそれなりに割り切ってやっているのか、それとも本気で意味があることだと思ってやっているのかは結局最後までわからなかった。

ただ、無事に社会人になった後で夢や希望と現実のギャップに喘ぐことになった人たちが多く居るのもまた事実なのだ。

と、すでに終えた就活への文句はこのくらいにして。



「現在こんなに激しい腹痛を起こしているのに、その腹痛に対しては、見て見ぬふりをして、ただ、さあさあ、もう少しの我慢だ、あの山の頂上まで行けば、しめたものだ、とただ、そのことばかり教えている。」

当時の私は、大人ってこういう生き物だ、という捉え方をしていたなと思う。

彼らは嘘を言っているわけでないし、社会に則して生きるための術を教えているだけなんだけど、それら全てに折り合いをつけられるほど器用ではない私はいつも誰かに怒っていた。

無意味だと思えるかもしれないけれど今のところ生きていくためにはこういう作業も必要なんだよ、と説明してくれれば済むことだった。

それなのに大人は、子供から見ても「無意味だ」とわかるようなことを真面目な顔をしてさも大切なことだと言わんばかりにせっせと勧めるんだからね、やる気なんかでないよねって。

私はただ本当のことを言って欲しかっただけなのに。


今でも、これと似たようなことを考える時がある。

この人は本当のことを正直に言ってくれているのか? 出来ない、知らない、わからない、と言うことをみっともないと思って何かを誤魔化してやいないか?

何歳になっても、例え90歳のおじいちゃんおばあちゃんになっても、わからないことはわからないと言う人のことを私は好ましいと思うし、そういう人の方がよっぽど信頼に値すると思う。

この感覚は今も昔変わっていないし、変わらずにこれからも生きていきたいと思う所存である。