いつだって自分が間違っているんじゃないかと不安なのだ。

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いよいよ年の瀬という雰囲気になってきましたね。

大掃除も大方終えているので、明日洗い物を片付けて洗濯層の掃除をしたら実家に帰ります。

実家で飼っている猫×2とはもう1か月ほど会っていないので触るのが楽しみ。


同棲するしない

年の瀬に書くような内容なのか?という疑問はさておき、ちょっと気になることがあったので今日はそのことを。

先日、例のごとくK氏とおでかけして夜ご飯を外で食べていた時、いつも大切なことほど必要以上に慎重になって言い淀む彼から「一緒に住む?」と尋ねられました。

というのも、来年の3月が彼の住むマンションの更新時期で、「更新するか引っ越しをするか」という話をする機会が最近たびたびあったのですね。

なんとなくその時の空気からして、彼が更新に前向きというわけではなさそうなのは感じ取っていて、だとしたらそろそろ一緒に住むことを提案される時期なのかもしれない・・・と私も薄ら考えてはいたのです。


でも、私は同棲はしたくないのです。

私たちはお互いが一人暮らしで、たびたび家にお邪魔させてもらっていて、暮らしぶりはだいたいわかっています。

普段何を食べて、どんなタイミングでどのくらいの頻度で掃除や洗濯をしていて、何時くらいに帰ってきてお風呂に入って寝ているのか、大まかには知っているのです。

もちろん人が来る時は普通家を綺麗にするだろうし、その時だけ上手く取り繕うことも可能だけど、許容範囲を超えるほどの落差はないと思っています。

それに、お互いの性格もだいたい把握できていると思います。

付き合ってから、私が神経質で細かいところは細かくてどちらか言うと気が短いということは彼もわかっただろうし、私も私で、彼には人の話に耳を傾けることはできるけどそれを受け入れることがなかなか無いという頑固な面があることを知りました。

そして、そういう自分であるから今後もどこかでぶつかり合うことはあるかもしれない、ということを対面できちんと話し合うことができる関係性を現時点でつくることができています。

だから、わざわざ同棲をして結婚生活の試運転をしなくても何とかなるんじゃないかと思っているのです。

私からすれば、同棲は無意味でしかないのです。


世間の当り前なんて知ったこっちゃない

同棲したくないと言ったことは微塵も後悔していないし、今がいくら同棲から結婚に至るのが普通の世の中であっても、私には関係ありません。

彼氏との付き合いが長くなってくると、当然のごとく「同棲しないの?」と言ってくる人の多さに、最近本当に私は驚いていたのです。

何故そんなサラッと? 不思議でならない。

自分の実感としては「もっと一緒にいたいから」なんて幼い理由で同棲を決断するには歳を食いすぎていると思うし、具体的に結婚の見通しがついていないのに同棲なんてもってのほか。


よく言われることだけど、特に女にとって同棲は何のメリットもないと思う。

例え相手が全額生活費を負担してくれていようとも、家事全般担ってくれようとも、私は同棲した時点でその人の女としての価値は確実に下がると思う。

こんな言い方は嫌だけど、実際そうです。

そのままサラッと結婚できればいいかもしれないけれど、グダグダと同棲している人を見たら「どちらか(もしくは両方)に結婚の意思がないのに共同生活しているなんてだらしないな」と心の中で考えると思います。

また、万が一別れてしまったら。

私は、自分が男性の立場だったら同棲経験のある女性は絶対に選びません。

よっぽどの事情がない限り、同棲を受け入れた女性側に特に軽率さを感じます。

また、同棲経験のある男性も選びません。

同棲までした女性と結婚せずに放り出すような人なんだな、と思います。

もちろん、一概にすべての人がそういう人たちではないことはわかってます。単に印象の問題です。


どうせなら本気で一蓮托生したいから

私が同棲が嫌だと思うのは、結局それが結婚を伴わない限りどこまで行っても「無責任」なものだからです。


友達同士のシェアハウスとは違って、同棲はもっと密接な関係の二人が共同生活をするのだから、お互いに協力して生活を支えていく必要性が必ず出てくると思います。

時には病気やら事故やら失職やらと、いろいろと困難なも起こるでしょう。

その時に、結婚という契約を結んでいない、血も繋がっていない家族ですらない人と本気で一蓮托生なんてできますかね?

少なくとも私には、それが「できない」もしくは「難しいだろう」ということがわかっています。

お互いを好きだという気持ちだけじゃ乗り越えられないことも起こるかもしれないから、そういう時も一緒に頑張ろうという気持ちも含めて「結婚」という契約をするんじゃないの?

こればっかりは綺麗事じゃ済まされないでしょ。


・・・と、もちろんK氏を相手にはここまでくどくどと言っていないです。

単純明快に、「私は同棲はしないよ。意味がないから。同棲をするくらいなら結婚する」「同棲はお互いの人生に責任を負わない形だから嫌だ」とだけ。

私はただ、一緒に住むのなら、その瞬間からお互いを一生捨てない、何があっても一緒にいるという契約をしたいのです。

だからこその結婚と、そこから始まる共同生活にしたいのです。


同棲はカトリックのタブー

実は、私が同棲を断った理由はここにもあります。

自分の感覚に同棲が元々合わなかったこともあるけれど、正直なところ私にとってはこちらの方が大切でした。

キリスト教では、以下のように結婚は特別な意味を持っています。

聖書が明言するとおり、男と女は相互のために造られています。「人がひとりでいるのはよくない」(創世記2・18)。女は男にとって「その肉の肉」すなわち、同等の人、もっとも近しい者であって、わたしたちの助けの源である神を表す「助ける者」として、神から与えられているのです。「こういうわけで、男は父母と離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2・24)。これは男女二人の生活の永続的な結合を意味していることをキリスト自らが示され、「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である」(マタイ19・6)という言葉で、創造主の「初めから」の計画を想起させておられます。 ※カテキズム1605より引用

結婚というものにこのような概念があることから、同棲は”結婚の尊厳”を損ねる、と考えられています。

同棲というのは、内縁関係や結婚制度自体の拒否、あるいは契約によって長期にわたって縛られる能力に欠けていること、などという多様な関係に適用される言葉です。これらの関係はすべて結婚の尊厳を損なうものです。家族の概念を破壊し、忠実さの意味を弱めるものです。 ※カテキズム2390より引用

今日、多くの人々が、結婚の意向がある場合の「試験的結婚の権利」を要求しています。しかし、時期尚早の性的関係を結ぶ人々の決心がいかに固くとも、「この性的関係は、誠意と忠実さをもって男性と女性相互の人格的関係を保証することはできないし、また、とくにこの関係を、気まぐれや心変わりから守ることも出来ません」。 ※カテキズム2391より引用

固い話になってしまいましたが、私はこの考えに納得しています。


宗教上の理由、なんて陳腐な言葉で彼に伝えたくはなかったけど、ここははっきり言うしかありませんでした。

だから、「私自身が同棲には意味がないという考えでもあるけど、カトリック的にも同棲はタブー。それもあって、責任が生じない共同生活はしたくない」と言いました。

これで引かれたら、もうそれは仕方がないことだし。

とは言え、自分の信仰のことは付き合ってすぐカミングアウトしてますし、彼がこういうことに抵抗がない人だということが分かった上で付き合ってもいます。

だから、きっと大丈夫だろうと踏んでの言葉でした。


彼の反応は・・・・

そもそもK氏は、既婚者の友人にアドバイスされて同棲を考えたそうです。

そのうちの一人が「一緒に住んでみて、結婚できると思ったから結婚した」と言ったそうで、単純に「そういうもんか」と思ったようでした。


その友人の言葉。今の世間ではそれが当たり前で、その言葉が誠実性を欠いたものだと受け取られない世の中なのだろうけど、私はそうは思えない。

一緒に住んだ時点で責任はお互いに発生してるはずなのに、本当ならば。

私の考えがお堅いことはよくよく承知の上です。だから生きづらいのです。


K氏は「自分には頑固なところがあるし、他にも一緒に住んだら嫌なところを見せてしまうと思う」と言っていました。

もちろん自分のためでもあると思うけど、どちらかというとK氏は私のための保険として同棲を考えてくれていたようです(少なくとも私はそう受け取った)。

私は「それはもうしょうがないじゃん。違う環境で育ってきたんだから合わないところがあるのは当たり前。それも含めて、一緒に暮らすと決めたからには受け入れて擦り合わせて行くしかないんじゃないの?」と言いました。

彼がその言葉で納得したかどうか、はっきりとはわからなかったけれど、雰囲気的には同棲をすっ飛ばして結婚というワードが私の口から出たことは嫌がっていないようでした(本来彼の方が結婚願望強いので)。


その後、私はこれは伝えておかなけばと思い、「同棲は嫌だと言ったけど、先のことを考えてくれているのはうれしかったよ」とlineしておきました。

すると返事が来て、「abomiは同棲の他にも何か譲れないものはあるの?」と尋ねられました。

私は「万が一自分の信仰を捨てろとか、信仰にあまりに反することを強要されるようなら、一人で生きていく覚悟を決めるかも」と送りました。

K氏からは「そんなことは言わない。それ言うなら、最初から付き合ってないよ(笑)」と返事が来ました。


私は、こういう話題を嫌がらずにしてくれて、面倒くさがらず一緒に考えてくれるこの稀有な人を本当に大切にしなければならないと思いました。

願わくば、私たちがお互いに覚悟と責任を持って新しい生活を歩める日がきますように。


・・・と、また自分本位なグダグダと長い記事を書いてしまった。

ともかく、こんな感じでこの年の瀬にはいろいろと考えさせられました。

来年も良い一年だといいな。

皆様も無事に良い年を迎えられますように。それでは。