【十二国記】完読しました!

abomi344.hatenablog.com

昨年読み始めた十二国記シリーズ、やっと完読しました!

読むのが遅いのとすぐ浮気するので時間がかかってしまった。

現実世界ありきの異世界ファンタジーって初めて読んだのですが、なかなか入り組んだつくりで、現実世界との矛盾が起こらないように描かれているのがすごいなと思ったり。


おさらいとして、舞台設定は以下のとおり。

十二国記は、神仙や妖魔の存在する中国風の異世界を舞台にしたファンタジー小説シリーズである。この異世界には十二の国が存在し、各国は王政国家である。麒麟が天の意思を受けて王を選び、王は不老の存在となり天の定めた決まりに従って統治を行う。

~中略~

麒麟は慈悲深く、血や死の汚れを嫌い、汚れによって病む。王の資質のある人間が選ばれると言われているが、それぞれの王によって国の繁栄の度合いは異なる。王は諸侯を封じ、政治を行う。王や一部の高位の官は神仙として不老を与えられ(特殊な武器で殺すことは可能)、王は死ぬまで統治をおこなう。王の治世は、数年で終わる場合もあれば、数百年にも及ぶこともある。(Wiki引用)


私としては、この"麒麟"という生き物の設定がとても面白くて好きだった。

現実世界における所謂"キリン"とは違って、この物語の創作上の生き物である麒麟王を選定するためだけに生まれた人間の姿と獣の姿を持つ神獣である。

自らが選んだ王が悪政を敷けば麒麟は病み、やがて死に至る。麒麟が死ぬと王も倒れるので、文字通りの一蓮托生。

麒麟は王の選定の後も政に関わるが、血や死の汚れを嫌うので、特に国が安定するまでの政治的な諍いにおいては具体的に役立つところがない。

それでも麒麟が特別であるのは、それが王の選定を行う唯一の生き物であることはもちろん、その性質からして決してぶれることのない国の良心として在り続けるからなのだと思う。

つまり、国の安泰の象徴的な存在なのである。

そういう設定の生き物って未だかつて他のハイ・ファンタジーで見たことがないな、と。

それだけに話の展開が読めず、続きが気になるのだ。


序章・魔性の子とのつながり

先に紹介した"魔性の子"は十二国記シリーズの序章にあたり、現実世界の日本が舞台なのだが、これが現在発表されている最新巻である「黄昏の岸 暁の天(シリーズ第8巻)」の直前の話なのである。

序章でのラストで謎の高校生・高里くんの正体が現実世界に流された麒麟であるとわかるのだけど、十二国記シリーズの第1巻は"慶"という国の王となる女の子の話から始まり、更に他の国の話も経て、高里くんが属する"戴"という国に戻ってくる作りだ。

高里くんの再登場を心待ちにしつつ読み進めるのだが、何だかんだで他の国の話も楽しい。

そしてようやく"戴"の話になった時に、「キターー!!」と思う。

これはシリーズ物を読ませる1つのテクニックだろうな~と人知れず思う。


物語に通ずるテーマ

政治を行う王、理想や野望を抱く官吏、市井の民などの多様な立場の人々が、過酷な運命のもとで必死に生きる姿を描いた骨太の物語である。新潮社の担当編集者は「全編に貫かれているのは、生きることの難しさと如何に対峙していくかであると思います。」と述べている。(Wiki引用)

一応、公式でこのように述べられているようだけれど、読者の実感としてはどうだろうか。

ちょっと真面目に考えてみる。


私個人の意見としては全体的に楽しく読めたとは思うけど、「日本文化しか知らない人が書いてる?」と感じる部分が所々あったように思う(ちょっと語弊があるかもなー)。*1

上手く表現できないのだけど、形骸的なところを指しているのではなく、マインドの話と言いますか。


"天帝"(現実世界で言う神)という存在が信じられている世界観のわりには、主要な登場人物達の多くがそれを単なる神話や伝説のように捉えていて、それなのに困難な局面に陥ると天の救いがないことに対して何らかの不満を漏らす、というパターンが物語上で何度か見られるのだ。

例えば、一国の将軍が荒れる国を救うために四苦八苦しながら「天帝とは伝説上の存在のことで、実在するとは思っていなかった。本当に天帝がおられるのなら何故国を救ってくださらないのか」と嘆くシーンがある。

子供向けとして書かれている物語だから、まずその問題提起から始める必要があったのかもしれない。

それでも全体を通して、特定の信仰がある世界を描こうとしているのに、その世界の人々の感覚があまりに「日本人的すぎる」と感じられた(ナショナリティは宗教観に特に顕著に表れると思うので余計にそう感じるのかもしれない)。

加えてこの台詞を大の大人である将軍に言わせたことで、宗教や信仰というものに対する無知さや無頓着さを感じざるを得なかった。

これは、十二国記の世界観に対する大きな矛盾だと感じるのは私だけだろうか?


もちろん、未完の物語なので「天はあるけれど人々を救ってはくれない」という普遍のテーマに対する最終的な結論はまだ出ていない。

しかし、現段階で陽子がその将軍の嘆きに対して発した答えが「だから人は自分で自分を救うしかないんだ」というものだった。

この答えに対しても、私は一抹の寂しさを感じた。

人は厳しい困難に直面した時、本当に自分で自分を救えるものだろうか。

それこそ特別な力を持ったファンタジーの登場人物の中でしかまかり通らない論理じゃなかろうか。

現実では、人間の力ではどうしようもないことが沢山起こり得る。

そこに生きる私達にとってはあまり救いになる言葉ではないと思ったし、逆にこの言葉に励まされる人はきっと挫折を知らない人なんじゃないかなあと思う。


あまり深読みしないほうがいいかもしれないし、そもそもまだ何の結論も出ていない物語だから、評価するには時期尚早なのだけど。

これを読む若い子たちが、この言葉が真実だと思ってしまうのは忍びないと思ってしまった。

この点に関してだけは残念だ、としか言いようがない。


新刊は2019年発売予定!

なんと第8巻発売から18年?くらい書かれていなかったそうなので、ある意味とてもいいタイミングで読み始めたと言って良いかもしれない。

ちと辛口なレビューになってしまったけれど、続きが気になるのには違いないので新刊の発表が楽しみだ!

それまでに忘れてしまわないようにしなければ・・・と思うのでした。

*1:作者の経歴を調べたら最終学歴が仏教学科だった。でも仏教的な考えとも違う気がする…