
週末事件簿を書き終えて、脱力気味なabomiです。
疲れた・・・・こういう時、どうやって気分転換していたんだっけと考えている。
独り暮らしで、恋人もいなかった時、どうしていたっけ。
美味しいものを食べても、お酒を飲んでも、好きな入浴剤を入れた湯船にゆっくり浸かっても、洗い立てのシーツをかけたベッドで眠っても、なかなか心が晴れないのだ。
あとやってないことと言えば、無心で映画やドラマやアニメを見たり、本や漫画を読んだり、パーーーっと散財したり。
最後のは状況的にも無しだな・・・。
でも、そもそもそういうことを気晴らしにでも「したい」と思えない。
私が今したいこと。ただ、人に会いたい。
しんどい時、人に会いたいと思えるような自分になったんだ、と思った。
人と会って一緒にご飯を食べて、お喋りして、笑って。
そういうことをしたい。
自分のことばかり考えて鬱ぎ込んでいた頃には思いもしなかったことだ。
そんなことを考えながら、ふと「一人が好き」っていうのは「自己中心的」になっている状態に近いんじゃないか、なんて思ったり。
数年前までの私は、他人のことを考えるのが本当に面倒だったから。
会う人も、頭の中で無意識に自分にとってメリットがあるかどうかで選別していた。
今でもそういう選別は少なからず必要なことだとは思うけど(自分に害為す人とわざわざ付き合うのは逆に良くないことだしね)、当時の自分のそうした考えの根底にあった感情は、とても傲慢で侮蔑的なものだったように思う。
そうと気付けたのなら、もっと周りの人たちに優しくならなければ。
基本的には、私の周りに居る人たちは私が親切にしている限り、同じものを、時にはそれ以上のものを返してくれる。
そういう関係をすべての人と続けていきたい。
でも今回の母の件のように、優しくしたいと願っている人から「普通はやってはいけないこと」をやられたらどうすればいいんだろう。
私は、さすがにもう曖昧にできないなと思っている。だから父にも洗いざらい話したのだし。
どこまでやれば正しくて、どこから先がただ残酷なだけなのか、まだわからない。混乱している。
とにかく、感情にまかせて暴走したりしないようにしなきゃ。
それなのに、気付くと母に「何て言ってやろうか」と考えている自分がいる。すごく嫌だ。
週末の家族会議が終わったら、しばらく実家に帰るのは控えようかな。
必要なことは必要な分だけ正したいとは思うけど、無闇に傷つけたいわけじゃないから。
・・・・・というわけで、明日の華金は幼なじみ(♀)とイタリアンの魚金行ってきます!ヤッホー!