【闇の守り人】バルサとジグロの物語

闇の守り人 (新潮文庫)

闇の守り人 (新潮文庫)

読んでくださる方へ、レビューとしての期待はしない方が良いです。

今更だけど、ただの個人的な備忘録だと気付きました。

カテゴリー名が読書日記だから、まあ間違いないのかも知れないけど。


さて、闇の守り人完読。

あとがきの著者の言葉曰く、精霊の守り人は子供受けが良く、闇の守り人は大人受けが良いそうです。

確かに、私も初めて読んだのが23歳くらいの頃だったので、比べたら闇の守り人の方が心に響いた部分が多かったように思います。

何故なら、闇の守り人は、30歳の成熟した女性であるバルサが、過去の悲しみ・苦しみの記憶と決着をつける話だからです。

28歳にして読み直して、読後の爽快感がすごかった・・・こういうのをカタルシスというんだろうか。


バルサ、故郷へ帰る

あらすじは以下のとおり。

チャグムの護衛を無事に終えたバルサは、ジグロの供養のため自らの故郷のカンバル王国に向かう。バルサが幼い頃、王の主治医であったバルサの父親は王弟ログサムにおどされて王を毒殺させられた。口封じに自分共々バルサが殺されるのを恐れた彼は、親友で100年に1人の天才と言われる短槍使いジグロにバルサをつれて逃げるように頼んだ。それ以後バルサはログサムが死ぬまでジグロと共に逃げ、短槍を習い、生き抜いてきた。その後、ジグロが死に、用心棒となったバルサは、チャグムの護衛を終えて自らの過去を清算しようと思い立ったのだった。しかしカンバルに帰ってみると、ジグロは王即位の儀式に使う国宝の金の輪を盗んだ謀反人の汚名を着せられていた。黒い闇に包まれたカンバルをバルサが救う。(wiki引用)

カンバルに戻ったバルサは、事件があったジグロのその後を知りたがっている人が故郷にいるかもしれないと考えていたけれど、現実は違った。

あらすじにあるように、ジグロは謀反者の汚名を着せられていて、ジグロが所属していたムサ氏族でも彼は一族の恥の象徴で、忘れたい過去の遺物になってしまっていた。

詳しい事情を知るために、バルサは唯一の身寄りである叔母(父の妹)の家へと向かう。

初めは身の上を疑われるが、バルサしか知り得ない思い出話等をすることで、叔母も次第にバルサが生きていて、陰謀に巻き込まれて逃げていたことを信じてくれるようになる。

私は、この叔母が信じてくれずに結局バルサを裏切るんじゃないかとハラハラしていたんだけど、ようやく信じ始めた時の彼女の言葉は、心に染みるものがある。

「見かけとちがって、ずいぶん重いのね。・・・あなた、女の子が、十の年から、こんな重い槍を・・・」
叔母は、ぎゅっと目をつぶった。とじられた目から、涙がしみだした。
「・・・なんという、むごい。むごい日々を・・・」

この台詞を読んだだけで、涙腺崩壊。しくしく泣きながら読むのであった。


バルサは、自分が今まで何をしていたのかを説明し、新ヨゴ王国で皇子のチャグムを守りながら旅をしたことも叔母に話して聞かせた。

バルサは、何故父の親友というだけでジグロが身分も名誉も捨て、自分を連れて逃げてくれたのかと長らく疑問に思っていたけれど、チャグムを守ることでその気持ちがようやくわかった気がすると話した。

「あの子の用心棒をしているうちに、わたしは、ふしぎなことに気付いたんですよ。自分の命さえあぶない、恐ろしい仕事だったのに、チャグムを守っているあいだ、わたしは、幸せだったんです。・・・ほんとうに、幸せだった」
バルサは、かすかな笑みを浮かべた。
「あんなふうに、自分の人生を使うのも、わるくないんだと、わかったんです」

このバルサの言い様を見ると、例えどんな理不尽に晒されたとしても、物事は理屈だけじゃ片付けられないんだなあと心から思う。


ジグロの思い出

敵襲を受けたバルサが、夢にうなされながらジグロが遺した言葉を思い出すシーンがある。

「ガキのころから、おまえの中には、おさえきれない怒りがあった。その怒りが、おまえの救いでもあり・・・呪いでもあった。――いつか、その怒りの、むこう側へいけたら、ずいぶん楽になるだろう・・・」

ずっとバルサが気負ってきたもの。

自分のためにジグロの人生を台無しにした。

だから、ジグロが殺した8人の友人の命を弔うまでは、自分の人生を生きられない。

その理由もあったけれど、バルサは自分が理不尽な目に巻き込まれたことへの強い怒りも抱いていた。

未だ押し殺して隠しているだけのその怒りを、ジグロは見抜いていて、先のようにバルサに言ったのだろう。


確かに、怒りは巨大なエネルギーだ。

かの村上龍が、「怒りが無ければ小説は書けない」と言っていた気がする。

人にもよると思うけど、村上氏にはぴったりな言葉だと思った記憶がある。

バルサにとっても同じで、怒りを糧にして生きてきたけれど、それを手放せない限り、過去から解放されて自由にはなれないのである。


そしてジグロは言う。

「あまり気張るな」
「おれは、母なるユサの山なみの底に沈み、自分の罪は、自分で償う」

後に、これが言葉のあやなのではなく、そのまま真実であることがわかる。


裏切られた故国を救うために

ジグロの弟・ユグロは、カンバルの財源である“ルイシャ”と呼ばれる宝石を地中深くにあると言われる山の王から奪おうと企てていた。

わかりやすいように言うと、資源が貧しい国が新天地を求め、先住民を押しのけて侵略を進めるのに等しいことだと思う。

しかし、山の王から“ルイシャ”を奪うことは、本来正式に“ルイシャ”の譲渡式に参加したことのある者たちからすれば、あまりに無謀なことだった。

ユグロの企みを止めるため、山の民である牧童(ホビットみたいなもんですかね)から、バルサは仕事の依頼を受ける。

その際の牧童の言葉は「ジグロがこの国に災いをもたらしたからこんなことになってしまった」とも受け取れるもので、バルサはこの発言に激高する。

「この国が、わたしにあたえてくれたのは、地獄のような日々だったんだ。ジグロが災いをもたらした? ――そうさせたのは、いったい、だれだったんだ!わたしは、今でもジグロがまちがっていたとは思わない。ジグロは、人としてできる、ぎりぎりのことをしたんだ。わたしにおなじ人生があたえられたとしたら、わたしも、ジグロとおなじことをしただろうよ。あの日々を――あの苦しみを――運命なんて言葉で、かるがるしくかたづけないでくれ!」

バルサが自分の感情だけで怒鳴るシーンは、全10巻の作中でここだけじゃなかろうか。

それだけに、迫力がある。

しかしそれでも、バルサは牧童に頼まれた仕事を遂行する。

ユグロの思惑を押し止める役目を受けたカッサというムサ氏族の少年の護衛のため、彼と共に儀式場に向かった。


ジグロの本音

譲渡式の中で行われる槍舞という儀式がある。

この槍舞は、山の国の王の家来である闇の守り人(ヒョウル)と槍で闘うことを指し、カンバル人の中で最も優れた槍使いがその役目を務める。

初めはユグロが槍舞を舞うことになっていたが、かくかくしかじかするうちにバルサがこの役目を担うことになった。


ここで初めて明らかになるのだが、実は闇の守り人(ヒョウル)は山の王の家来などではなく、生前にカンバル王の護衛を担っていた“王の槍”と呼ばれる武人達の魂なのである。

“王の槍”には、かつてジグロの追っ手として放たれた武人達と、ジグロ本人もそのうちの1人に含まれている。

そして、槍舞とは本来、彼らの魂を弔うための儀式なのだ。


バルサを守るために命を捧げたジグロと、そのジグロによって殺された人々。

彼らの魂を弔うのに、バルサの他をおいて適任者などいなかったのだ。


私としては、この物語の何よりもの見所はジグロとバルサの槍舞だと思う。

ジグロの槍を受けたバルサは、生前の彼よりもずっとむき出しの魂と接することで、彼の思いにじかに触れることになる。

激しく突きこまれたジグロの槍を、バルサは受けそこなった。わき腹に熱い痛みが走るのを感じた瞬間、その傷口から、ジグロの、おさえきれぬ憎しみがしみこんできた。ジグロが、自分を憎んでいる・・・!それは、思いがけぬ衝撃だった。――だが、心の底で、うすうす知っていたような気もした。
――バルサさえ、いなければ・・・。ジグロは、何度、その思いを押し殺してきたことだろう。足手まといの、幼い娘を守る必要さえなければ、ジグロは、友を殺し続ける必要などなかったのだ。それどころか、そもそも、カンバルから逃げる必要さえなかったのだ。

そう、ジグロは、バルサのことを憎む気持ちも持っていた。

最期には娘のように思っていたバルサのことを、しかし、それでもバルサというお荷物を抱えなければ味わわなくて済んだ苦渋が多すぎた。

私まさにはここに、この物語の本領があると思う。

ただ美しいだけのファンタジーなら、ジグロの憎しみなど描かなかっただろう。

ジグロのような男ならば決して生涯口に出さなかった本音を、彼が死後闇の守り人(ヒョウル)になることで明らかにさせたのである。

骨を噛むような痛みが、バルサの胸の底に沈んだ。しかし、その痛みが胸の底に沈んだとき、ふいに、身をよじるようにして、なにかが心の中に顔を出した。――それは、うずくような、激しい怒りだった。
(・・・わたしに、なにができたというんだ?)
バルサは、突きこまれてくる槍を、力いっぱいはねあげた。
(たった六歳だった、わたしに!)
そして、怒りにまかせて、槍をジグロにたたきつけた。ジグロが槍を受ける、硬い感覚が手に伝わってきた。
(わたしは、生まれてこなければよかったというのか? それとも、自分で死ねばよかったとでも?)
それは、むきだしの怒りだった。心の底に隠してきた――自分にさえ、隠してきた怒りが、おさえようもなく噴き出してきて、バルサは、くるったような勢いで槍をふるった。
(わたしは、たすけてほしいなんていわなかった! あんたが勝手に、たすけたんだ!)
ジグロが槍に腕をかすられて、たじろぐのが見えた。
(あんた、知らないとでも思っていたのか? 友を殺すたび、わたしは、あんたがわたしを恨んでいるのを感じていた。――ずっと、感じていたんだ)
 
中略


バルサは、闇の中で、自分を見つめているジグロの目を、見たような気がした。
おれを殺せ――という声が、聞こえたような気がした。
その怒りのすべてをこめて、おれを殺せ。そして、怒りの向こう側へ、突き抜けろ・・・と。

上橋さんが、架空の国で行われる伝統儀式・槍舞を通して、ジグロとバルサの本音のぶつかり合いを描き、それをジグロや殺された武人達の弔いとして昇華させ切ったのが、この物語の本当にすごいところだなと思う。

どろどろとした感情のぶつかり合いのはずなのに、ただの言い合いではなく、槍舞として描くことで美しくさえある。


槍舞を終えたジグロと武人達は、青い光に姿を変えて、彼らの親や兄弟たちの頬を撫でてそらに帰って行った、とある。

彼らは本望を果たして、きっと、成仏したということなのだと思う。

ジグロだった青い光に撫でられたバルサは泣いた。

ふいに、涙があふれてきた。
バルサは、手で顔をおおい、だれはばかることなく、大声で泣いた。

先にも書いたけれど、バルサがこれほど感情的になるのは、この“闇の守り人”の話の中だけだと思う。


怒りの向こう側へ

自分の話になるが、私にも過去に残してきたとある“わだかまり”がある。

もうとっくの昔に過ぎ去った出来事なのに、未だにそのことを思い出すとムシャクシャしてきて、関わった人に何らかの形で仕返しをしてやりたい、同じ気持ちを味わわせてやりたい、という気持ちが今もどこかにあるような気がする。

理性では、そんなことをしても仕方がない、今更掘り返したところで誰も得しない、いい加減振り切らなきゃ同じところをグルグル回り続けるだけで私も前に進めない、と思うのだけど、一体どこで踏ん切りをつければ良いのかわからないのだ。

だからなのか、この物語の「怒りの向こう側に行ければ、お前もきっと楽になるだろう」というジグロの言葉がとても心に響いた。

私も楽になりたいのだ。


バルサには私の事情を遥かに超えた辛い出来事があった。

彼女はそれを乗り越えるために、槍舞をしなければならなかった。

過去を振り切って先の物語へと繋がっていくために、上橋さんは第2巻で“闇の守り人”を書く必要があった。

私にもいつか、過去を決算して、もう二度とそれに囚われず、自由に、力強く、前に進んでいけるきっかけの時がくるだろうか。

この“闇の守り人”は、振り返る過去のある大人がそうした勇気をもらえる物語だと、改めて思う。