【夢の守り人】人はね、生きるのに理由を必要とする、ふしぎな生き物なんだよ

夢の守り人 (新潮文庫)

夢の守り人 (新潮文庫)

レビューを書くまでにちょっと間を置いてしまいました。

このままではせっかく読んだ内容への思いが薄れてしまう!と思ったのでぼちぼち書きます。

いざ!


物語の世界観を掘り下げたストーリー

守り人シリーズ第3巻に当たるこの「夢の守り人」は、ひとえにこの物語の世界観をより深く広く掘り下げることを目的とされた作品だったのではないかと思う。

何故なら第3巻では、それまでの2作以上に“ナユグ”と呼ばれるこの物語における異世界について書き連ねられているからだ。

このような宗教観(?)は、実際に作者が研究対象としているオーストラリアの先住民族アボリジニが持っている思想をモデルとしているようで、そのためなのか、ただのファンタジーと片付けることが出来ないレベルの奥深さを持って舞台設定が成されていると感じられる。

私は「守り人シリーズ」の中で、いつも、「外れた人たち」を主人公に据えて描いてきました。バルサはもちろんのこと、チャグムもまた、自分が生まれた「場」から、外れざるを得なかった経験をし、そのことで変化してしまった子どもです。
ただ、バルサたちと、タンダやトロガイの場合は、少し違うのです。
タンダやトロガイもまた「外れた人たち」なのですが、このふたりの場合は、ごくふつうの村人として生れながら、その心が求めるものが、他の人々とは違うものであったがために、外れて行かざるを得なかった人たちでした。
村人の暮らしも、その喜びも哀しみもよく知りながら、村人には、なかなかわかってもらえぬ喜びや哀しみも抱えている――『夢の守り人』は、こういう人々への思いから生まれた物語で、大河のような歴史の中で生きる人々の喜びや哀しみを浮かび上がらせることを求めた「守り人」シリーズの中では、ある意味、鬼っ子のような作品なのかもしれません。

上記はあとがきからの引用なのですが、これがすごく興味深い。

この物語は、バルサやチャグム(それまでのシリーズ主人公)のような不可抗力で普通に生きる道から外れてしまった者たちではなく、自分の意志で外れていった人たち、すなわち呪術師であるタンダやトロガイのような人に焦点を当てている。

それだからこそ、掘り下げられる世界や、人間の深みというものがあるんだなと。

これは新たな発見だった。


夢に迷い込んだ人たち

そもそもこの物語について、作者がどこから着想を得たかと言うと、それは作者がある日ふと疑問に思ったことに起因する。

眠って見る夢と、憧れとして追い求めるものを、なぜ人は、同じ言葉で表現してきたのでしょうね。
~中略~
そんなことをつらつら考えていたとき、ふと思いついたのですが、もしかしたら人は、実現不可能であることを「夢」だと感じているのではないでしょうかね。
そんな、ちがうよ、夢を実現する、という言葉があるじゃないか、と言われるかもしれませんが、実現し、現実となったそれは、果たして「夢見ていたもの」と完全に同じものでしょうか? 私には、どうも、違うように思えるのです。
日々の暮らしをこつこつと営んでいく人という生き物が、いま生きている現実ではない何かを、心の中で思い描く――それこそが「夢」で、それは遥か彼方にあるものだからこそ輝いて見える。目覚めたら消えてしまうものである「夢」は、それを表現するには、ぴったりの言葉だったのではないでしょうか。
現実を、たとえ一瞬であっても離脱できる「眠り」――そこに、人が託したものの奥底を覗き込むと、生まれて死ぬという生物としての営みだけでは満足しえない、人という生物の不思議さが、凝縮して見えてくるような気がします。

この考えを主軸として、物語の序盤では、タンダの姪っ子が眠ったまま夢から目覚めなくなるという事件が起こるのだ。

何故姪っ子が目覚めなくなったかと言うと、詳しくは物語を実際に読んで確認して欲しいが、簡単に言うと、【自分の人生に絶望(落胆)している人が、夢に誘われてそこから帰ってこられなくなる】という現象が、“ナユグ”に住まう者の不思議な力によって起こってしまった結果なのである。

そして夢から戻ってこなくなった人々に対して、トロガイ師がつぶやいた言葉が、私の心にポツリと響いた。

「・・・人はね、生きるのに理由を必要とする、ふしぎな生き物なんだよ。鳥も獣も虫も、生きていることを思い悩みはしないのにね。ときに、人は、悩んだすえに、自分を殺してしまうことさえある。」

あくまでファンタジー小説の中の登場人物の言葉なのだが、まるでこの世を実際に生きる人が発するような言葉だなあと思った。

思うに、ファンタジーに限らず小説世界で必要な要素って“あくまで虚構でありながらもいかにリアルであるか”というところな気がする。

守り人シリーズには、それを感じさせる台詞やシーンが本当にたくさんあるのだ。


チャグムも再登場します

物語では時同じくして、王宮に住むチャグムも夢に捕まって戻ってこられなくなってしまうという事態が発生する。

そこで、人の夢に潜り込むことができる呪術師であるタンダとトロガイが、彼らを救うべく動き始める。

しかし、魂となって(幽体離脱みたいなもの)人の夢の中に入るという行為は、自分自身の魂が体に戻れなくなってしまうかもしれない危険な行為。

そのため慎重に事を進めるトロガイを差し置いて、焦りに駆られたタンダは独断で姪っ子の夢へ入り込んでしまった。


そしてタンダが潜った夢の先で出会ったのは、姪っ子ではなくチャグムだった。

チャグムもまた、長い旅(1巻参照)を終えて王宮に戻った後の暮らしに絶望しか見いだせずにいたのだ。

一度市井のあたたかい暮らしに触れてしまったチャグムには、王宮の中の隔絶された暮らしに耐えられなかった。

そのたががある瞬間に外れてしまって、彼も夢から目覚めなくなってしまったのである。


夢の中でチャグムと出会ったタンダは、チャグムを現実世界へ帰るように言い聞かせる。

チャグムは、王宮から一生出られず孤独に生きていくくらいなら例え夢でも幸せな空想に浸っていたいと言って、一度はタンダの説得をはね除けた。

しかし、タンダの再びの説得により、チャグムは現実へ帰る決心をした。

その時に、チャグムがふとした疑問を口にした。

「<生命>は元気に息づいているのに、<魂>が眠りつづけることを――死さえも望むとは、なんとふしぎなことだろう。・・・人はなぜ、身体にあまるほど大きな魂をもってしまったんだろうね?」

この表現がすごく、心に染みた。

自分自身、これまで生きてきた中で何度もこれに似た思いを抱いたことがある気がしたからだ。


そして、タンダはチャグムが無事に自分の体へ戻れるように、まじないをかける。

チャグムの魂を、強く、素早く、飛ぶことのできるハヤブサの姿に変えたのだ。

「飛ぶ力は、おまえが生きたいと望む力だ。苦しみも闇も、突っ切って飛びつづけろ。おまえには、その力がある。・・・おれも、バルサも、それをよく知っているよ」

チャグムを送り出すタンダの言葉。

これもまたじんわりと胸に響く。

タンダがチャグムに寄せる親愛と、彼の強さへの信頼が強く現れている。

確かにこういう風に言ってもらえたら、励まされて、自信を持って強く飛んでいける気がする。

子供を見守る親の気持ちと姿勢って、これが最も正しいかたちなんじゃないだろうかと思った。


再読した感想

実は、初めて読んだ時「夢の守り人」は、私の中ではシリーズ中で最も面白くなかったと感じた巻でした(笑)

全巻面白いのに、ここだけ何故か微妙なんだよな~とずっと思ってました。

でも再読してみて感じたのは、「夢の守り人」を3巻目に持ってきたことはシリーズ全体を通すとかなり意味のあることだったんだなと。

それは最初にも書いたとおり、第3巻は物語の設定(特に“ナユグ”の世界観について)を深く掘り下げるための話だったと感じるからです。

そのためなのか、「夢の守り人」は一般の読者よりも作家層に人気がある作品なのだそうです(文庫版あとがき参照)。

なるほど~と思いました。

やはり、作家ともなるとシリーズのストーリー全体を見ているんだなと。

この第3巻は、後の物語には決して欠かせない要素をこれでもか!と掘り下げている。

そういう目線で読むと、改めて発見もあり、面白いなあと思ったのでした。