看取るということと、長い時間をかけて育む信頼のはなし

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学生時代の恩師のお母さんが先月亡くなられた。

昨年にはお父さんも亡くなっているのだが、両親とも長寿で、お父さんは90歳以上、お母さんも80代後半までご存命だった。

病気もなくずっと健康そのものなお二人だったそうだが、やはり80代の半ばを過ぎる頃には認知症が始まったり、そうでなくても体の自由が利かなくなったりしてきて、それに応じて娘である先生は介護生活を送ることになった。

老人ホームに入りたくないという両親の希望にそって、自分が東京で仕事をしている時は介護ヘルパーを頼み、それ以外の時間はなるべく実家に帰って両親の面倒を見ながら過ごすという生活は、移動時間も含めれば相当な負担だったと思う。

ご両親が亡くなるまでの数年間そのような生活を続け、先月の半ばくらいに先生からお母さんの訃報が届いた。

メールには「少し疲れました」と書いてあった。


先生のお父さんは話に聞く限りなかなか厳しい人だったようで、先生が若い頃は折り合いが良くなく、色々なことで戦いながらもつかず離れずの距離感で生きてきたみたいだった。

他人様の親をこんな形容をするのも何だけど、本当に「古くさい慣習に囚われた頑固ジジイ」という感じのお父さんで(笑)

特に先生は、その世代にしては珍しく海外留学をした経験もあるし、カトリックの洗礼も受けているので、慣習を重んじるお父さんからすると、先生は「自分の思いもよらない行動をする変わった娘」であり、何故他の娘達のように素直に結婚して主婦にならないのかと不思議だったのだと思う。

また、先生はお母さんからも「何故あなたはわたし達が与えるものだけでは満足しないのか?」「何故外国の宗教など信じるのか?(実家は確か浄土宗の檀家)」。*1
というようなことを言われたこともあるそうだ。

両親からすれば、自分の手の内にいたはずの子供が、自力で世界を広げていって親の与り知らぬことに熱心になっていくことがある意味恐怖だったのかもしれない。


そのためにご両親とは昔はよくぶつかったそうなのだけど、色々と議論を重ねる中で先生が常に冷静に自分の意見を主張し続けた結果、晩年のお父さんは「オマエは(親世代と違って)高い教育を受けているから、そういう考えなんだろうな」「イギリスにも行ったし、アーメン様(←これが何か面白いのは私だけか・・?)にもなったしな」と度々零していたそうだ。

その言葉を聞く限り、お父さんは、自分の理解の範疇を超えてはいるけれども「この娘は大丈夫だ」と安心しているのだろうなと思った。

先生は、長い長い時間をかけて自分の選択や行動に対する両親の信用を勝ち得たということだ。


私の目から見ても先生は「かなーり変わった人」なんだけど、しかし28年生きてきた今までの間に、先生ほどあらゆる意味で「安定した人」を見たことがない。

当時19歳だった私は何故だかわからないけれど、その安定感に異様に惹かれた。

ふわふわしていて、穏やかで柔軟そうに見えるのだけど、まるで体の真ん中に一本の太くて大きな支柱が通っているような人。

この人の持っている安定感がどこから来ているのかと言えば、それはやはり信仰だったと思う。


その頃ハタチそこそこだった私は、先生とかかわっていく中で、「絶対的な何か」を信じることは人間に自信と平穏を与えるのだと知った。

多少の揺らぎはあれど、大きく傾ぐことは決してなく、いつも同じ場所に立ち返っていく先生をこれまで何度も見てきた。

そして出会って早10年が経ち、それはどんなに年老いても、置かれる環境が著しく変わっても、決して失われないものだったのだと改めて確信することができた


私は、どうせ努力して手に入れるなら、絶対に無くさないで済むものが欲しい。

生きていくのに充分な気力が欲しい。

恋愛とか、仕事とか、勉強とか、遊びとか、趣味とか、家庭とか、そういうものだけではきっと永遠に満たされないだろうと漠然と思う(だけど確信でもある)何かがあって、その穴を埋める術を知らなければとても生きていけないと思っていた。

10代の頃からそんな感覚があった。

そして、それを持っている大人がたまたま身近に現れた。それが先生だった。

私は本当にラッキーだったと思う。


先生のご両親は、亡くなる前にそれぞれ二人とも洗礼を受けてクリスチャンになった。

このことについては賛否両論あると思うが、私がそれを聞いてしみじみ思ったのは、ご両親はきっと神を信じているよりも強く娘の選択を信じていたのだろうなと。

それで意味があるのか?と思われるかもしれないが、私は大いにあると思う。

大切な人が選んだ道を長い時間をかけて見極めて、人生の終わりに自分もまたそれを「信じます」と意思表明すること。

最終的には、身近な生きた人間が見せる生き方が重要なのだろう。

先生は、20代の頃から現在60代に到るまでの間に、それをやり遂げた。

そう考えると感慨深く、本当にこの人はスゴいなあと思う(きっと一部の私のような人間以外には変人と思われてると思うけど・・・笑)。


久しぶりに会った時、先生が言っていた。

「もっと親孝行したかったなあ。でも、できることは全てやりました」
「母が、“○○(先生)が私の娘で幸せ”と言ってくれました」


死別は淋しいことだけど、決して哀しいだけじゃないんだな。

お世話になっている老神父様が、「人生は第2の胎児期です」と言っていたのを思い出す。

「第1の胎児期は母親のお腹の中。胎児はいずれこの世に産まれ出るための準備を母体の中でします。同じように、人は人生の中で次の世界に行くための準備をせねばなりません」と。

キリスト教では、死後の世界は「ある」と考えられている。

ひとりの人間の存在は死によって消えるものではなく、死後も別の世界で永遠に続いていくものであると。


その考え方に対する印象的な言葉として、戦前に聖マキシミリアン・コルベ神父(アウシュビッツの聖者と呼ばれる人です)と共に来日して、戦後は戦災孤児の救済のために活躍し、日本でその生涯を閉じたポーランド人のゼノ・ゼブロフスキー修道士の生前の口癖がある。

人生の半分以上を日本で過ごしたはずのゼノ修道士は最後まで日本語があまり上達せず、片言でよくこう言っていたと言う。

「ゼノしぬひまない。天国にいったらゆっくり休みます」

この言葉通り、ゼノ修道士は体の自由の利く限り、戦災孤児を救うために全力で日本全国を東奔西走していたそうだ。

笑顔が本当に素敵な方(画像参照)なので、気になる人はぜひ調べてみて欲しいなっと。


つながりが見えなくなってきたので、この辺でおわります。

*1:ちなみに先生はこれに対して「仏教もインドで発生して中国から日本に渡ってきたものですから外国からの輸入品ですよ」と答えた猛者である。