【虚空の旅人】大河の始まり

虚空の旅人 (新潮文庫)

虚空の旅人 (新潮文庫)

少し前に守り人シリーズを完読しました。やはりおもしろかった!

自己満レビューも止まっていたけど、一応最終巻まで書き切りたいと思ってます。

さて、バルサが主人公の守り人シリーズの中ではある意味外伝的な位置にあるのが旅人シリーズ(とはいえ2巻しかない)。

こちらは1巻でバルサが用心棒を勤めた新ヨゴ皇国の皇太子であるチャグムが主人公になります。


読めば読むほど、チャグム皇子が好きになっていく不思議・・・それゆえ、私は旅人シリーズの方が実は好きかもしれません。

彼は健全な優しさにあふれた少年なのですが、一方では潔癖で気が短く、宮中の汚い政治的なやりとりを黙って見過ごすことができないような、皇子としては危うい面も持ち合わせています(読者としてはそこが良いのですが)。

私は、この彼の潔癖さに何だかすごく共感してしまうのです。


本来ならば、宮中で産まれてから死ぬまでほとんど宮の外に出ることなく、ましてや民と触れあう機会など持たずに生きていくはずだったチャグムが、幼い頃水の精霊に宿られたがために汚れを嫌う父親から命を狙われるはめになった。

その時チャグムを連れて逃げてくれた用心棒のバルサが、彼に市井の暮らしを教えた。

そのあたたかな暮らしが宮中に戻った後も忘れられず、また父に殺されかけたという事実とそのことを父子がお互いに知っているということが彼らの間に決して埋めることのできない溝として残ってしまっていた。

父である帝は、一度市井の暮らしに落ちた(帝の先祖は代々神の子であり、世間の汚れからは隔絶された神聖な生活を守るべき、という考えがあるため)息子のことを毛嫌いしており、それを知っているチャグムもまた父親のことを冷めた目で見ている。

そこに第二皇子が産まれたため、チャグムを失っても次の跡継ぎが確保できた帝はさらに息子に冷たく当たるようになった・・・というところから、今回の物語は始まります。


チャグム皇太子、南へ向かう

新ヨゴ皇国の南に位置するサンガル王国の新王即位式に招かれた帝は、国の魂である自分が宮を離れるわけには行かないという理由で、代わりに皇太子のチャグムをサンガル王国に出向かせることにした。

チャグムは、つかの間息の詰まる宮中の暮らしから逃れられることを喜ぶ一方で、外交を目的に他国へ出向く皇太子にろくな警備をつけずに送り出した父が、すでに自分に見切りをつけ始めているのかもしれないことを感じている。

側近として共に船に乗った星読博士のシュガもまた、本来ならば自由に生きる気質を持った皇子が、狭い宮に閉じ込められて政に振り回され続けているのが憐れでならない。

そんな状況なのに、これから訪れる新天地にチャグムもシュガも内心わくわくしているのが隠しきれないのが、あ~若さだなあ(←ババア)と読者としては微笑ましく思えた。

彼らは将来外交を任せられるかもしれない身として幼い頃から隣国の言語や文化等を学び、習得してはいるのだが、実際に国を出て異文化に触れる機会はなかっただろうから、それだけで好奇心が強く刺激されるのだろう。


彼らがこれから赴くサンガル王国は、新ヨゴ王国の南に位置する半島に王都があり、北陸と南陸の国々の間に広がる海に浮かぶ複数の島々を治める王国である。

北陸と南陸を繋ぎとめる位置にあるこの王国は物資と国交に優れており、これまで作者が描いてきた北の新ヨゴ皇国とカンバル王国とは異なる風土と文化、それにまつわる王族や国民の特性までもを詳細に描写しており、まるで実際に存在する王国のようでこれだけで充分読み応えがある。

サンガル王国では、王の長男は将来次王となるべく王宮で政を学びながら育ち、次男は海軍の大将となるべくサンガル領土の諸島で海の男たちと共に育てられる。

次男にあたるタルサン王子は、自分を「王子よりも漁師として産まれた方が幸せだったのではないか」と嘲った王宮の暮らししか知らない兄に対して憤りを抱いており、そのような面で少しチャグムと通じるものがあった。

しかし、二人の出会いは峻烈なもので、タルサン王子が、顔から薄布を垂らした状態で祭典に出席した新ヨゴの皇子(新ヨゴでは神の子孫である皇族を下賤の者が直に見ると目が潰れるという言い伝えがあっため、皇族側からの配慮も含み薄布を顔に垂らしている)のことを不遜な奴だと腹立たしく思い、ちょっとした悪戯をしかける。

タルサンは、儀式の一環である第二王子がつとめる舞の最中に、着地に失敗したふりをしてチャグムに体当たりをしてやろうと思いついたのだ。

しかしタルサンの目論見は失敗に終わり、それどころか大切な儀式の中で他国の皇太子を危うく怪我させてしまうところだったことへの責任を身内の王族に追求された時、チャグムが上手く彼を庇ってその場を諫めてしまった。

自業自得ながらもその一連の出来事で惨めな思いをさせられたタルサンは、一瞬チャグムに対して強い怒りを感じかけるが、

「こんなくだらないことを、わたしたちのあいだに刺さった棘にしたくない」
タルサンは眉をひそめ、色白の皇太子の黒い目を見つめた。
皇太子の目に、自分自身を嫌悪している色が浮かんでいるのに気づいて、タルサンは、驚いた。えらそうなことを言ってしまった自分を、いやなやつだと恥じている気持ちが、チャグムの、かすかにしかめられた顔にも、現れていた。――超然と見下ろすような表情は消えて、おなじ年頃の少年の顔が、はじめて見えていた。

そうそうそうそう、チャグムの魅力はこういうところなのです。

タルサンは、この瞬間にきっとチャグムの中に自分と似た気質があることを見抜いたのだと思う。


ナユーグル・ライタの目と南陸の不穏な動き

チャグムがサンガル王国の式典に出席する話とはまた別で、いくつかの事件が同時進行に描かれる。

ひとつは、サンガル王国に古くから言い伝えられているナユーグル・ライタという海の底の別世界の住民が、時に海上に現れて人間に憑くという伝承について。

憑依されるのは幼い子供であり、その子は”ナユーグル・ライタの目”と呼ばれて、人の世を監視する目となる。

そして、子供の目を通して見た人の世が海底人のお眼鏡にかなわなければ、王国は滅ぼされるというのである。

王国の滅亡を避けるために、王族は代々”ナユーグル・ライタの目”が現れると式典に招いて最大級のもてなしをし、儀式の最後にはその子を海に帰すという習わしがあった。

つまり、憑依された子供ごと殺してしまうのである。

チャグムが式典への出席のために王国へ訪れた時期にも”ナユーグル・ライタの目”が出現し、その子はタルサン王子が日頃から可愛がっていた島民のエーシャナだった。


さらに、サンガル王国にはラッシャローと呼ばれる、陸に住み処を持たずに一生を海の上で生きる人々がいる。

彼らの一員であるスリナァという少女が、家族と共に漁をしていたところ突然南からやってきた帆船に襲われ、ひとりぼっちになってしまう。

命辛々逃げ出して孤島に泳ぎ着いたスリナァはそこにいた同じラッシャローの男に、一連の事件の真相を聞かされる。

その男は、南の大国であるタルシュ帝国の捕虜であり、サンガル王国に送り込まれた密偵であること。

そして、タルシュ帝国は北陸への侵攻を計画しており、近い将来、サンガル王国はタルシュの手に堕ちるであろうということ。


これらの出来事が絡まり合って、物語が進行していく。


自分と似た境遇の子

ネタバレをしちゃうと”ナユーグル・ライタの目”は、かつてのチャグムがそうだったように何かの拍子に異世界の生き物と接してしまった子のことであり、エーシャナの場合は精霊に宿られたのではなく、精霊の声に惹かれた結果魂を抜かれてしまっただけであって、実際には人の世に害を加えるような存在ではなかった。

エーシャナに異世界の匂いを感じたチャグムはすぐにそのことを察し、王族に申し立てしようとするが側近のシュガに制止される。

その時に彼が言った言葉が、チャグムの真っ直ぐさを端的に表しているように思える。

「シュガ。ひとつだけ、約束してほしいことがある。
これからも、おまえがなにかの陰謀に気づいたとき、わたしを守るためにその真相を隠すようなことは決してせぬと約束してくれ。・・・陰謀の存在を知りながら、だれかを見殺しにするようなことを、決して、わたしにさせるな」


タルサン王子を襲う災難と王族の姫君

タルサン王子もまた、知り合いの子であるエーシャナが生け贄として式典の最後に殺されてしまうことを阻止するために、まずは彼女の様子を伺いに行くのだが、エーシャナの身の内に入り込んでいたタルシュ帝国の密偵の一人である呪術師に、呪いをかけられてしまう。

呪術師に操られたタルサンは次期王となる兄を攻撃し、瀕死状態にさせてしまうことで死刑を言い渡されてしまった。

これもまた、タルシュ帝国がサンガル王国を内部から攻撃するためにしかけた罠であった。


兄を殺しかけた記憶がないタルサンは大いに戸惑ったが、自分の意見が全く聞き入れられないことを悟る。

そんな弟を唯一信じた姉のサルーナは、チャグムの手を借りて弟と二人国外に逃亡することを計画する。

サルーナが、チャグムを見つめた。
「舟に乗るたびに、頭にたたきこまれた言葉があるのです。難破の危機がきたら、なにかをもちだそうとするな。生命がたすかることだけを、ただ考えよ。生命さえあれば、かならず新たな道が開けるのだから、と」
チャグムの胸に、いくつかの顔が浮かんできた。幼かった彼を、おなじような言葉ではげまし、生きのびさせてくれた人びとの顔が。

この台詞からもわかるように、サンガルの女は強い。

この王国の最も顕著な特性として、王族の女性たちが政治へ大きな影響力を持っているという点がある。

サンガル王国は半島にある王都があるため、海に散らばる島々との結び付きを強固にするために、各諸島の代表的な島に王族の姫が嫁いでいく。

島人に嫁いだ姫達は各島の統治をサポートしながら、王都に情勢を伝えるというしくみである。

そのため王族の姫達は子供の頃から政治について学び、北陸と南陸に挟まれた土地柄から外交も巧みに熟す。

彼女らは実にしたたかで、自国(自分)が生き延びるために何をすべきかをよく知っているのだ。


物語の終焉

そんなこんなで、色々な出来事が絡み合いながら物語は進んでいき、結果的には”ナユーグル・ライタの目”になったエーシャナを救うことができ、タルシュ帝国の陰謀も暴かれ、タルサン王子の名誉も回復された。

しかし、同時にサンガル王国はすでにタルシュ帝国が国境の近くまで出兵していることを知り、彼らもこれに応戦するためにタルサン王子を筆頭にして出陣することになる。


チャグムは、これらの国と国とのやり取りや諍いを目の当たりにし、自分が皇太子という立場に縛られていることろ改めて実感する。

神聖なる国の魂などというお題目は、心の底からくだらぬことだと思っているし、皇太子という地位は、人びとと、あたたかく触れあって生きることをゆるさない、冷たい鎖としか思えない。だがその鎖は確実に自分の背をしばり、その先には、人びとの暮らしという、とてつもなく重いものがかかっている。


出陣するタルサン王子を見送る時、チャグムとタルサンは最後の会話を交わす。

「殿下、失礼をお許しください。はじめてお目にかかったときに、わたしは、その薄布に腹を立てたのです。ひとを布ごしに見るのか・・・と。正直にいうと、いまでも、そんな布、好きじゃないです。その下にある、殿下のほんとうのお顔――強くて、真直ぐな目が隠されてしまうから」
にこっとわらって、タルサンはつけくわえた。
「この戦にかならず勝って、いつかまた、素顔の殿下に、まみえます」

チャグムは、同世代の彼が、誇らしげな様子で出陣していく様を見送りながら、彼との間に越えがたい心の距離があることに気付いて、胸の痛みを覚える。

――わたしも、この布を憎んでいる。・・・ずっと、憎んできたんだ。だけど、タルサン、きみは、自分も<王子>という、目に見えぬ薄布を被っていることに気づいているかい? 兵士たちを誇らしげに従えて出発していくタルサンの後姿を見ながら、チャグムは自分が兵を率いるときは、きっと、誇りよりは痛みを感じているだろう、と思った。


望んだわけでもなく皇太子として産まれ、その地位にただ翻弄されながら生きてきたチャグムは、自分が国の代表である限り、決して勝手な真似はできないし、すでにその立場から無責任に逃げ出すことができなくなってきている。

それはチャグムが国や民を思う心からなのだけど、彼はまだ、そのことを重荷に感じているのだ。


新ヨゴ皇国へ帰る船上で、チャグムは側近のシュガと自分の将来について話す。

口笛のような鳴き声が響き、ハヤブサが、海と空のあいだを滑るように飛んでいった。
「・・・シュガ」
「はい」
「わたしは、危うい皇太子だな」
シュガが、意味をはかるように眉をあげた。
「ときに自分がおさえられなくなる。神聖なるヨゴの皇太子としては、あまりにも危うい性格をしているな」
シュガの顔に苦笑が浮かんだ。
「そうですね」
チャグムはふりかえらず、じっと海を見つめていた。
「そなたは、死にむかって落ちていきながら、わたしの手を離さなかった。あれは忠義などではなく、もっと別のものだった。・・・ありがとう」
シュガは、なにもいえずに、まばたきをした。
「許せよ、シュガ。この危うさゆえに、わたしはいつか、そなたをも破滅へとひきずってしまうかもしれない。――そうなりそうだと感じたら、いつでも手を離せ。わたしは、決して恨みはしない。そんなときがきたら、むしろ、そなたには生きのびて、わたしとは別の方法で国をよくしていってもらいたい」
「殿下・・・」
チャグムは、もう点のように小さくなったハヤブサを、なおも目で追いながらいった。
「わたしは、あえて、この危うさをもち続けていく。天と海の狭間にひろがる虚空を飛ぶハヤブサのように、どちらとも関わりながら、どちらにもひきずられずに、ひたすらに飛んでいきたいと思う。そして、いつか、新ヨゴ皇国を、兵士が駒のように死なない国に・・・わたしが、薄布など被らずに、民とむきあえる国にしたいと思う。――幼い夢だと思うか? だが、この幼い夢を、わたしはずっと胸にいだいて飛んでいきたい」
チャグムは、シュガをふりかえった。
「・・・そなたの才能を、政だけにすり減らすな。驚きをもって異界を見るまなざしを、決してくもらせないでくれ」
シュガの目に涙が浮きあがり、一筋、頬を伝って落ちた。
ふたりの顔に、そのとき、雲を割って、明るい光が降りそそいだ。
南国の、透きとおった、強い光だった。


以上が、この物語のラストシーンだ。

これがあまりに美しくて、初めて読んだ時、不意に涙が零れた。

何より私が感動したのは、

「・・・そなたの才能を、政だけにすり減らすな。驚きをもって異界を見るまなざしを、決してくもらせないでくれ」

というチャグムの台詞。

私はシュガの涙したわけがすごく分かる気がする。

自分の才能を認め、こうして背中を押してくれる人が自分の主人であったなら、従者としてはこれ以上の幸せないだろう。


チャグムは、自分の中に「こう生きたい」という強い理想があるのに、それだけでは立ちゆかないことが多すぎることをすでに悟っている。

しかし彼はここで「それでも自分は自分の道を行く」という決意を表明している。

純粋で、潔白、そして強く、優しい意志だと思う。

そしてそんな夢物語と思われるような理想を実現させる力が彼にはあるのではないかと、先の物語を大いに期待させる締めくくりになっていることは、疑いようもない。