怯えるマイノリティ

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※この前食べためっちゃ美味しい抹茶ソフト。甘すぎず、抹茶の苦みを生かした高級感のあるお味。できれば週1で食べたい(ダイエット中)。


先日、ドラマ“きのう何食べた?”がすごく良かったと記事に書いたのですが、先週放送の第11話もとても良かったです。

なぜ良いと思うんだろう?と少し考えてみたのだけど、ご飯が美味しそうだったり暮らしが穏やかで幸せそうなのはもちろん、筧氏が度々見せるマイノリティ故に抱く怯えにシンパシーを感じるからかもしれないと思った。


彼は自分がゲイであることを職場でもカミングアウトしておらず、恋人のケンジが知人に自分のことを話したり、必要以上にゲイ同士で馴れ合ったりすることを嫌っている(自宅やそういうコミュニティが集まる場ではそうでもないが)。

行きつけのスーパーで出会った近所の主婦には成り行きでゲイであることを明かしているが、彼が家族や同類以外の他人へカミングアウトしたり親交を深めたりする相手は、ドラマ上では主婦とその家族のみである。

これらの行動から見てもわかるように、筧さんの中には、好奇や偏見の目に晒されることを酷く怖れる心がある。

そんな彼の気持ちを考えると、私は胸がギュッと痛くなる。


私も、実家がとある新興宗教に属しており(信仰の有無はさておき)、子供の頃に“自分の家はどうやら他人の家と違うぞ”ということに気付いた時、そしてそれを親しい友人に指摘された時に、とても恥ずかしくて肩身が狭い思いをしたことがある。

高度経済成長の時期に発生して貧困層を中心に広まった新興宗教は、初期の過激な勧誘活動や事件等の影響で、特に親・祖父母世代にとっては“危険なモノ”と同一視されていたり、少なくとも深くは関わらない方が良いモノとして一線を引かれている。

過去に起きたことを考えれば現在に至るまで人々に敬遠され続けていても仕方ないと思うのだけど、私たち子世代になってくると、過去の事実をきちんと知らないままに早い段階から宗教=危ない・怪しい・胡散臭いという考えが刷り込まれているように感じる。

それは世間の風潮、メディアの煽り、親や周囲の大人の意見に影響されて、ほとんど無意識に構築されるステレオタイプだ。

私は子供の頃にこうした先入観や固定観念が世の中に存在していることを知ってから、色々なことに臆病になった気がする。

気が小さいと思われてしまうかもしれないけれど、自分という人間を形成したものの一つを何の説明もなく初めから奇異な目で見られるというのは、なかなか辛いことなのだ。


さて、“きのう何食べた?”の話に戻ります。

登場人物たちにとって自分がLGBTであるという事実は非常に大きな問題だと思う。

時には奇妙なものを見るような視線に晒されたり、嘲笑されたり、侮蔑されたり、怖がられたり、哀れまれたりすることもあるだろう。

最新話を見ていて、筧さんが「両親が俺がゲイだって知った時どう思っただろうと考えた」「きっと可哀想な子だと思っただろうなと思った」という台詞があった。

たぶん、こういう問題が自分のコアに近いものであればあるほど、人は深く傷つくのだ。

“多くの人と違う”という事実だけで、自分という人間の本質を見ることなく特定のレッテルを貼られてしまうことが悔しくて哀しくて堪らないからだ。

その瞬間、その人の自尊心がどれほど傷つけられることか。

こんなことが自意識が芽生えて以降、似たような形で幾度となく繰り返されたら、人に対して臆病にならずにはいられないと思う。

ケンジのように比較的堂々と自己主張ができるタイプもいるけれど、私は確実に筧さん寄りの人間だ。


過去から現在に至るまでの自分の臆病さを思って、うじうじとこんなことを書いているわけだが、筧さんが心の中で叫んでいた声が今の私の心情にぴったりだったのでここで引用したい。

ここまで生きて来て、いまだにゲイっぽく見られたくないとか、バレたくないとか、ウジウジ考えている、そういう器の小さいオレ自身に腹を立てているんだよ。

こういうことを思うたびに、結局自分自身が一番偏見の塊なのだと感じる。

その偏見が、同じ立場の人達を傷つけることがあるかもしれないのに。

筧さんもそのことを知っているから自分に苛立ち、苦しむのだと思う。


時折、自分は自分なのだから堂々としていれば良いと言い切る人や、人と違うことを何故そうも怖れるのか?と言う人がいるけれど、私の経験上、そういう人は少し鈍感な感性の持ち主であるか、少なからず自分に決定権があった人達だと思っている(ちなみに、鈍感力という言葉が一時期流行ったくらいだし、私はある程度の鈍感さはむしろ長所だと思っている)。

私は彼らの強さを羨ましく思いながらも、きっとこの先も自分が彼らのようになれることはないだろうなと思う。

でも最近は、「それでもかまわない」と思う自分もいる。


私は自分の性格上、マイノリティの人達に「いつでも堂々とせよ」とはとてもじゃないけど言えないけれど、いざと言う時、ここぞ!っていう時には「自分を誤魔化さないで済むようになりたいよね」と言いたい。

心の成長にはすごく時間がかかって、これからもずっと続いていくし、何とか少しずつでも育んでいかなければ、と思った。