広島原爆の日

1945年8月6日8時15分に広島の上空で原子力爆弾が爆発した。

まだ100年経ってないんですよね、その時から。

と、今日出勤中に電車に揺られながらふと思った。


広島の原爆と言うと、私はいつものことながらお世話になっている老神父様の話を思い出します(私が特にお世話になったのは、スペイン人の神父様と日本人の神父様の二人でした)。

この方が、広島県出身なのです。


まだまだ記憶に新しいのですが、終戦70年の夏に、いつもは無駄口をきかず黙々と聖書研究を進める神父様が、その日の講座中ずっと自分が体験した戦争の話をし続けていたのを覚えています。

普段は自分の話をあまりしない人なのに今日は一体どうしたんだろうと不思議に思いました。

神父様は、当時17歳、自宅の中で原爆を受けたとおっしゃっていました。

家の中にいたのに爆発の振動でふっとんで、タンスに頭をぶつけてしばらくの間気を失ったそうです。

そして、目を覚ましてから何事かと外に出て様子を見たら、学校の友人が道に立ち止まっていたと。

彼に何があった?と尋ねると同時、歩み寄った側からは死角になっていた友人の半身の服が焼け落ちて、髪の毛もすっかり焦げてなくなっていたのに気が付いたと言います。

熱線を受けた側だけが、そのような有様になってしまっていたということですね。


幸い家族は全員助かったけれど、その後は倒壊した母校の廃材を売って生計を立てることになったそうで、かなり苦労を重ねられたようでした。

神父様の話を聞いていると、若い頃に戦争を体験した人たちは、良くも悪くも戦争が人生の中心になっているのだろうなと感じました。

認知症になり、さっき話していたことも忘れてしまうような方が、原爆が落ちた日のことだけは「昨日のように思い出せる」とおっしゃっていました。


神父様は、戦争について語る時、いつも感傷的にならずに事実だけを淡々と語りました。

開戦前、当時はだれもがもうすぐアメリカとの戦争が始まる予感を覚えていた。

子供(自分)だってそれをひしひしと感じていたのだから、パールハーバーは完全なる奇襲とは言えない。

日本は石油の貿易を止められて、資源が困窮しており、窮地に追い込まれて真珠湾を攻撃した(宣戦布告の通達ミスだという説もあるようです)。

すべて仕組まれていたのだと思う。

しかし、それにまんまと引っかかる日本も愚かだった、と。


神父様は、広島の平和記念公園には一度も行ったことがないそうです。

でも、そこにある石碑に何が書かれているかは知っており、「過ちは繰り返しませんから」と言うが、一体誰の過ちなのか? 原爆を落としたのはアメリカなのにね。

とおっしゃっていました。


繰り返しますが、こういう話をしながらも、神父様の語り口調からは一切の恨みつらみが感じられず、ただ、淡々と過去に起きた出来事とそれに対する自分の見解を語るだけでした。

もし今皇居に原爆が落ちたら、ここも一緒に吹き飛ぶだろうねえともおっしゃっていました。

私はそれを聞いていて、なんだか不思議な心地がしたのを覚えています。


そんなにも大きな爆弾が日本に2発も落とされたのか、と。

それによってたくさんの人が死に、被爆し、病気で死んでいった。

それでもなお、世界は核を手放さず、日本でも政治家が戦争をするしかないでしょとなどと軽率な発言をしたりする。

まだ終戦から80年も経っていないのに、人はどんどん忘れていくんですね。

こんな日本の現状を、戦争経験者であるお年寄り方はどんな気持ちで見つめているんだろう。

ふと、そんなことを考えた74年目の広島原爆の日でした。