長崎原爆の日

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190809-00000011-asahi-sociheadlines.yahoo.co.jp

1945年のこの日に落ちた原爆の爆心地に程近い場所にあった浦上天主堂でベールを被って祈る女性。

Yahooのヘッドラインに使われていたこの写真、美しいなあと思いました。


このニュースでも説明されているように、長崎の浦上には長い間迫害され続けた隠れキリシタンの里がありました。

最も有名な事件は浦上四番崩れと呼ばれており、この時浦上のキリシタンたちは日本の各所に流されて酷い拷問を受けました。

その生き残りの人々が、故郷に戻って荒れ地となった浦上を復興させ、念願だった自分たちの教会を立てたのです。

それが浦上天主堂でした。


しかし、教会の設立からわずか20年の後に、浦上の上空から原子爆弾が投下されました。

浦上天主堂は崩れ、中にいた沢山の信徒が亡くなりました。


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爆風で崩れ落ちた鐘楼は今も残っており、このように再建された教会と比べ見てどれ程爆発の衝撃が大きなものだったのかを現代の人たちにも教えてくれます。


また、同じく浦上にあった長崎医学大学の永井隆博士は、原爆投下後に反戦を訴える様々な著書を出版しました。

カトリック信者でもあった永井博士は、浦上に原爆が落ちたことを「神の御摂理である」「神が与えた試練であり、神に感謝」と説いたそうです。

つまり、浦上の人間たちは、神の前に生贄として捧げられたのだと。

これを浦上燔祭説と呼ぶそうです。


確かに浦上に次々と降りかかる困難や試練(と言うにはあまりに惨過ぎる)には、何かしらの意義があるようにも感じられます。

でも正直言うと、私は永井博士のこの思想には素直に頷けません。

何故なら、神が人間に対してここまで惨い犠牲を求めているとは到底思えないからです。

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また、私は実際に浦上天主堂に行ったとことがあるのですが、ここに有名な被爆マリアという像が飾ってあります。

私は、間近で首だけになり目はポッカリと穴の空いたような被爆マリア像をずっと眺めていたら、胸が熱くなって涙が出ました。

人間の意思で始めた戦争を神は止めることはありませんが、私にはこの被爆マリア像が、原爆の時、最も苦しみを受けた人々の側に神が居られた証拠のように思えたのです。


最後に、この動画がとても良かったので上げておきます。

こういう方々の貴重な証言を私達は真摯に受け止めなければならないなと思いました。

当然政治家にもしかと聞いてもらわねばならない言葉です。