【ペイフォワード 可能の王国】Have a cup of coffee with me?

先日久しぶりに見返した映画「ペイフォワード」。

あらすじをwiki様から引用します。

ラスベガスに住むアルコール依存症の母と、家を出て行った家庭内暴力を振るう父との間に生まれた、少年トレバー。
中学1年生(アメリカでは7年生)になったばかりの彼は、社会科の最初の授業で、担当のシモネット先生と出会う。先生は「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を生徒たちに与える。生徒達のほとんどは、いかにも子供らしいアイディアしか提案できなかったが、トレバーは違った。彼の提案した考えは、「ペイ・フォワード」。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の3人に渡すというものだ。


初めて見たのは10代の頃で、その時からずっと好きな映画でした。

今は立派なおじさん(笑)になってしまったハーレージョエルオスメントくんが主演を張っています。

とても可愛いです。


トレバー少年は、シモネット先生に「何故ペイフォワードのようなアイディアが浮かんだのか?」と尋ねられると、

「だって、世の中はクソだから」

と答えました。


確かに、彼を取り巻く環境にはかなりクソ感がある。

アル中の母親と二人きりの生活。

父親も同じくアル中で、時々ふらりと帰ってきては母親と喧嘩をして暴力をふるう。

彼はいつも、それが終わるのを部屋の中で息を潜めて待つほかない。

学校では苛めが横行していて、道端にはホームレスが溢れてる。


そんな最中、新任のシモネット先生に出された課題を期に、彼はそのクソな環境を一掃しようと試みます。

ペイフォワード(次へ渡せ)プロジェクトは、恩を返すのではなく別の新しい誰かに渡すことがルールで、渡す時の条件は「その人自身の力ではどうしようもない難しいことを代わりにしてあげる」というものでした。

私は、久しぶりに見た時にこの「難しいことが条件」というのがとても重要な気がしました。


トレバー恩を渡す相手として選んだ3人(正確には4人)は、

①近所のホームレスの青年ジェリー
②シモネット先生
③いじめられっ子のアダム
(④ママ)


しかし彼の試みのほとんどが失敗に終わってしまう。

ひとつだけ成功したのが、アル中のママがお酒をやめるために自分が精神的な支えとなってあげることでした。


結果的にはママが息子に助けられた恩を次に渡したことで、ペイフォワード運動は広がって行くんですね。

でもトレバーが失敗したと思っていたことも、実は彼が知らない間に実を結んでいたりもします。


私があらゆる映画の中でも大っっ好きなシーンなのですが、トレバーが最初に助けようと試みたホームレスの青年ジェリーのサイドエピソードです。

ホームレスであり薬物中毒者でもあったジェリーは、社会復帰を果たすための足がかりとしてトレバーからお金を貰い受けます。

そのお金でスーツを買って就職活動をした彼は職を得ることができました。

そのことをトレバーの母・アーリンに報告したジェリーは、彼女に語りかけます。

「きっとわからないでしょう。初めてゴミを漁るためにゴミ箱の前に立った時のあの気持ち。”人生を台無しにした”。そう思うんです。」
「だから僕は救いの手を差し伸ばされれば誰の手でも取る。それが例え子供の手であっても」
「あそこに戻ったら僕は死んでしまう」


しかし薬物中毒はそう簡単に克服することが出来ず、彼は再び薬に溺れてしまいます。

その様子を見てトレバーはジェリーを救うのを失敗したと判断するため、彼についての話は終了したかのように思われるのですが、ストーリーの途中で再びジェリーが登場するシーンがあるのです。


ふらふらと覚束ない薬物中毒者の足取りで歩くジェリーの視界に、突然橋の欄干によじ登ってそこから飛び降りようとしている見知らぬ女性が飛び込んできます。

驚いたジェリーは自殺しようとする女性を助けるため「どうか飛び降りないでください」と懇願しますが、彼女は「私には救われる価値なんか無い」と答えます。


その時ジェリーが言った言葉が、10代の頃初めてこの映画を見たその時からずっと心の中に残り続けています。

”Have a cup of coffee with me?(一緒に珈琲を飲みませんか?)”


どんなに綺麗に取り繕った言葉も、絶望した彼女には通用しないと思ったのかもしれません。

だからジェリーは自分がトレバーに助けられた後、母アーリンがその話を聞くために彼にかけた言葉「珈琲でも飲まない?」を咄嗟に口にしたのだと思います。

それこそ絶望の中で孤独だった彼が何より嬉しかった言葉だったんじゃないかと思ったのです。


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そうそう、まさにこのシーン。

ジェリーが珈琲を飲みましょうと言った後、一体突然何を言っているの? と訝しがる見知らぬ女性に彼は続けて言うのです。

"Do me a favor. (お願いです)For save my life.(僕を救うために)”


このシーンを見ると、私にも過去にしんどくて哀しくて仕方ない時、あえて何も聞かずにお茶に連れ出してくれた人がいたことを思い出すのです。

ただお茶を飲んで甘いケーキを食べてのんびりするだけだったんだけど、涙が出るほど落ち着いた気持ちになりました。

本当に辛い時にはただ側に寄り添って美味しい物を一緒に食べてくれる人がいるだけで救われるのかもしれません。


久しぶりに見たけれど、30歳間近になってもこのシーンは変わらず素晴らしいと思えた。

そういう普遍的に感性に響くものを大切にしていきたいなと改めて思った映画なのでした。

(※ちなみに一緒に見たK氏は、トレバーがママの正直なSOSに応えたバス停留所のシーンでひっそり泣いたと言ってました笑)