石田ゆり子を見るためだけでも劇場に足を運ぶ価値はあると思います!

と、最初に結論を書き綴ったわけですが。

マチネの終わりに」を見に行ってきました。


小説を先に読んじゃうと、どうも原作との違いばかり気になって粗探しのようなことをしながら見てしまうので良くなかったかも・・・と思いつつ、石田ゆり子さんは綺麗で綺麗で綺麗でそれだけで見に行った甲斐がありました。

特にゆり子さんがパリで福山雅治に会いに行くシーンの、カジュアルながらも女性らしいファッション(ネイビーのシャツ+深緑の柔らかい素材っぽいロングスカート+ハイヒール)で颯爽と歩く姿にときめきが止まらない。

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これこれ。多分、映画の中では違うヒール履いてましたが素敵。


あと、主人公の1人がプロのギタリストなので、小説とは違って音楽が実際に聴けるというのは大きかったかなあ。

クラシック曲も美しいですが、映画のためにオリジナルで作られた「幸福の硬貨」という曲がとっても綺麗。

思わずサウンドトラックが欲しくなってしまうんだなあ。


物語の大筋は一緒でしたが、細かい設定が変更になっていました。

小説中では、パリ、バグダッド、ニューヨーク、東京、長崎・・・と色々な都市が登場するのですが、さすがにバグダッドでの撮影は無理だったようで(そうだよね)洋子さんが自爆テロに巻き込まれそうになる場所はパリの本社に変更になっていました。

そのために細々とした齟齬が起きており、う~~んと思ってしまった。

同僚のジャリーラがイラクからの亡命に失敗する事件や、ソリッチ監督が娘(洋子)のイラクへの遠征取材を「ヴェニスに死す症候群」と称したことへの緊迫感がかなり失われたというか。

もちろん、パリでテロの被害に遭うシーン自体はすごく迫力があって怖かったし、事の深刻さとしては比べることはできないと思うのだけどね。

うん、あのエレベーターのシーンは本当に心臓がドキドキした。


上記のことは致し方ない変更として、洋子(石田ゆり子)がクロアチア出身の父親であるソリッチ監督の実子ではないということになっていたのと、ソリッチがすでに死んでいることになっているのはショック!!!!でした。

ゆり子さんを混血児とすることに無理を感じたということかなあ?

でも、別に彼女はそこまでザ・日本人みたいな顔立ちではないと思うし、有りだと思うんだけどなあ(黒木華ちゃんみたいなお顔だったらそりゃ・・・となるけど)。

血が繋がっている親子ではないという設定に変更されてしまったから、ソリッチや洋子の複雑なルーツを持つが故の思想にはあまり焦点が当てられなかったのが残念。

そもそも、著者である平野氏はインタビューで「現代の日本万歳みたいな風潮が好きではないので、国籍や出自、肌の色等に関わらず魅力的な人は魅力的だということを描きたかった」と言ってたと思うし、それ故の洋子というキャラクターだったと思うので。


ソリッチは死んでる設定なので、原作で私が一番好きだった父娘の対話のシーンもありませんでした(涙)

全体的には美しくて良い映画だったけど、映画監督誰だよ~~原作のテーマを背負ったシーンのうちの1つを完全カットするってどういうことだよ~~(涙)

あとソリッチと別れた長崎出身のお母さんの迷いや苦悩も、洋子とリチャードの結婚生活が上手くいかなかったことに通じる部分があったのに全く描かれていなかったです。


・・・て、原作との違いを挙げて色々文句を言うために書いたんじゃなかったわ。

ラストシーンで、二人がセントラルパークの池の近くでお互いを見つけるまでのシーンに堪らない気持ちになった。

二人の笑顔がとても素敵だった。

久しぶりに落ち着いた良い映画を見られたなあという満足感を得ることが出来ました。