【蹴りたい背中】さびしさは鳴る・・・

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

有名作品なのであらすじは省略!(というか、あらすじだけだとこの作品の面白さは伝わらないから実際に読んで欲しい)

やっぱり綿矢りさがすごい

2003年、著者の綿矢りさは19歳にして「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞しました(最年少記録は塗り替えられてないんだっけ?)。

私が初めてこの本を読んだのも当時中学生の頃だったと記憶しています。

その頃は主人公のハツが心に抱いている惨めさや恥ずかしさ、苛立ちとは縁が無いような生活をしていたので、綿矢りさが書いていることが理解できませんでした。

しかし、20歳を超えた頃に再読してみると、私自身の読み方がガラッと変わっていて、「なにこれすごい」となりました。

同時受賞した金原ひとみの「蛇にピアス」も面白いけれど、大人になってもすごいと思えるのは「蹴りたい背中」だった。


綿矢りさは、17歳の時に「インストール」を、19歳の時にこの作品を書いています。

頭も良く、見目麗しい少女の中に何故こんな暗闇が生まれ得たのか?

勝手な解釈ですが、彼女は感受性が育ち過ぎた人なのかなという気がします。

子供の頃から読書が好きだったようだし、愛読書は太宰らしいので。

読書は素晴らしいけれど、時に経験を置き去りにして、綿矢さん本人の言葉を借りるなら「枯れた悟り」を育ててしまうのかもしれないと思う。

しかし、彼女はそれを文学で昇華させたのだからすごいなあ。

タイトルが秀逸

綿谷りさの作品は、タイトルが秀逸だと思うことが多いです。

蹴りたい背中」は、一体何のことなのか初めはわからなかったけれど、読後はこのタイトルしかないと思えるし、他にも「勝手にふるえてろ」とか「かわいそうだね?」とか好きですね。

レッテル貼られがちな身動き取りづらい少女~女の毒々しい苛立ちを感じる。

勝手にふるえてろ

勝手にふるえてろ

かわいそうだね?

かわいそうだね?

あと関係ないけど「かわいそうだね?」は装丁がめっちゃ可愛い。

だから文庫版にもこのデザインが引き継がれたのだと思っている。

ちなみに内容は、後半収録の別話である「亜美ちゃんは美人」の方が面白かった。

リアルな文章

あらすじだけをなぞり、物語として読もうとすると、この作品はきっと退屈だと思います。

そこはやはり“純文学”と言いますか、文章の美しさが面白いのだと思うのです。


ハツが抱く不穏な感情、女になる前の女、仄暗くて、どこか艶めしいのだけど、そのリアリティが気持ち悪い。

そう気持ち悪いのだ。リアルすぎて。


にな川が抱くアイドルへの気持ちにも同じものを感じた。

一方的で未熟な、ほとんど妄想からなる恋。

別に相手がアイドルではなくても、そういう恋は皆一度は経験するんじゃないでしょうか。

思い出すと懐かしいような気もするけれど、胸糞悪くなるようなみっともなくて苦い恋。


認めて欲しい。許して欲しい。櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってゴミ箱に捨てて欲しい。人にして欲しいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに。


ああ~~すごくわかるよ(語彙皆無)。

私はこの文章に、太宰の「女生徒」と通じるものを感じました。


abomi344.hatenablog.com


ハツの「人にして欲しいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに」に対して、女生徒は、「みんなを愛したいと涙が出そうなくらい思いました。美しく生きたいと思います」と考えているのですね。

二人ともその前後で散々いろんな文句を言ったりなんだりしているのですが、それでもやはり「美しく生きたい」という切なる願いを抱いている。

それが、健気と言うかいじらしいと言うか。

彼女等は、周囲に対して強い不満を抱きながらも、世の中には致し方ないことがあることをすでに悟っており、また、時には自分の願望こそ理不尽なのかもしれないという自覚はちゃんと持っているのです。


これだから、思春期は辛いのです。

世間は高校生が青春時代の最上の舞台のように語りますけれど、私は高校生には絶対に戻りたくないなあ。

個人的には一番がんじがらめで不自由な時代だったと思います(大人って楽しいよ!)。

“蹴りたい”という衝動の意味するもの

そして、この作品のクライマックスは間違いなくラストシーンであると私は思っています。

最後の最後に、ハツが同級生・にな川の背中を蹴るシーン。

そう、タイトルそのものの出来事が起こるのですね。

川の浅瀬に重い石を落とすと、川底の砂が立ち上がって水を濁すように、"あの気持ち"がそこから立ち上がってきて心を濁す。いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで。


私はこの文章に、鳥肌が立つようなエロスを感じました。

そして、蹴られたことに気付いていない(あるいは気付いている?)にな川が振り向いて不可解な顔をしているのを見ながら、

気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、吐く息が震えた。


この言葉で締めくくられている。


最後のページをめくって本当に小説が終わったことを確認して、うわあ~~~~と思いました。

このうわあ~~~~には色んな感情が込められているのだけど、なんって小説だろうと、そう思いました。


“蹴る”という衝動が孕む性的要素の他に、この行動にはいろんな意味が含まれていて、それは夢中になれるものを持っていたにな川に対する嫉妬心もあったと思うし、オタク的趣味に対する軽蔑もあったと思うし、その両方を感じている故の同族嫌悪もあったのではないでしょうか。

彼女自身、彼を蹴った理由をはっきり説明することができないとは思うけれど。


そしてハツが、足の裏にごつごつしたにな川の背骨を感じるということ。

相手のことを「この人は男だ」と改めて認識する行為だったように思います。

それこそキスよりもずっと生々しく性的な接触であったと。

皆が夢見る青い春な恋とは別物の、リアルな青春です。


そしてこの行為に、

いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで。

という負の感情も含まれていたというのが、ポイントかなと思います。

私はハツのこのどこかサディスティックとも取れる感情と、その体現である“蹴る”という衝動がよく分かる気がするんです。

そういう女は少数派なのでしょうか。それとも意外と多いものなのでしょうか。



そんなことに思いを馳せながら読んでいるのですが、私は綿矢さんがもっと年齢を重ねておばさん・おばあさんになってからの作品を読むのも楽しみだなと人知れず思っています。

きっとまた、「あ~わかる~」という気持ちになれると思うから。


最後に、書評検索していたら、こちらがとても分かりやすく面白かったので掲載させていただきます。
www.shimi-masa.com