【ポケットに名言を】さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう

ポケットに名言を (角川文庫)

ポケットに名言を (角川文庫)

寺山修司と言うと、私が初めて名前を知ったのは田口ランディのエッセイの中でだった。

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ランディさんは学生時代から実際に寺山修司と親交があったそうだが、エッセイを読んだだけでは、寺山氏が果たして詩人なのか、歌手なのか、舞台監督なのか、素性がよくわからない印象を受けた。

とにかく当時の若者にとってのカリスマだったのだ、という理解を経てしばらくスルーしていると、アメトーークの読書芸人でスピードワゴンの小澤さんが寺山氏の著書「ポケットに名言を」を紹介しているのを見た。

小澤さんは、何冊も買っては友人知人に配って歩いているくらいこの詩集を愛しているらしい。

なるほどと思い、またサラッと流して月日が経つと、今度は寺山修司が私が大好きな漫画「あしたのジョー」の登場人物である力石徹の葬儀で葬儀委員長を務めていたことを知った。

ますます何者なのかわからなくなったので、古本屋に行って、ようやく「ポケットに名言を」を手に取った。



内容は、ジャンルや時代、人を問わずに世の中の名言を集め、1冊の本に収めたというもの。

私は、収録された名言そのものよりも、寺山修司が書いた序文にとてつもなく心惹かれた。

寺山氏は、元々はボクサーか詩人のいずれかになる夢を持っていたそうだが、最終的に詩人になることを選んだ。

その決定的な理由として、以下のように書いている。

少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られた時、食うべきだ、と思った。Hungry Youngmen(腹の減った若者たち)はAngry Youngmen(怒れる若者たち)にはなれないと知ったのである。
そのかわり、私は詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。
だが、同時に言葉は薬でなければならない。様々の心の傷手を癒すための薬に。エーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。


谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」のレビューを書いた記事と重複するけれど、引用した

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寺山氏は、良薬にも毒にもなる言葉の凄まじい威力に魅せられていたのだろうと思う。

それが、実際に殴り合い体をぶつけ合うボクシングよりも、最終的には彼にとって強烈な魅力だったのだと。

私は、その気持ちがなんだかすごくよく分かる気がして、ウンウンと頷きながら読んだ記憶がある。



また、この序文の中で、井伏鱒二が唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」の「人生足別離=人生別離足る」「さよならだけが人生だ」と詩的に訳したことを取り上げ、この言葉が自分にとって最高の名言であり、処世訓でもあると寺山氏は語っている。

(原文)
勧君金屈巵  君に勧む金屈巵
満酌不須辞  満酌辞するをず須いず
花発多風雨  花発けば風雨多し
人生足別離  人生別離足る

(直訳)
君に この金色の大きな杯を勧める
なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ
花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ 
人生に 別離はつきものだよ

(井伏訳)
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ


「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」

語感が良く美しいので、つい口ずさみたくなる。



さらに、寺山氏はこの詩を元にして「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」と歌った。

さよならだけが 人生ならば
また来る春は何だろう 
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐりあう日は何だろう 
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛はなんだろう

さよならだけが 人生ならば
建てたわが家は何だろう 
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう

さよならだけが 人生ならば 
人生なんかいりません


人生に別離はつきものだけれど、いつかそこに存在していたものの意味が失われるわけでは決してない。

「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません」

寺山氏が書いた詩を読むと、じわじわと胸に来て泣きたいような気持ちになりますね。