【限りなく透明に近いブルー】赤ちゃんみたいにものを見ちゃだめよ

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: ペーパーバック


19歳の頃に初めて読んだ村上龍

私、村上龍が“限りなく透明に近いブルー”を書いて芥川賞を受賞したのが24歳の頃ということだったので、何故か自分も24歳までは大丈夫だわ!と、何の根拠も無い安堵を抱いていました。

24歳なんてまだまだ時間あるわ!と思っていたんだけどな~今や三十路が目前です。

この「大丈夫だ!」はたぶん、自分にはまだ色々チャンスがあって何にでもなれる、という気持ちに近いと思うんですけど、このことを考える時連想していつも思い出す漫画“20世紀少年”の主人公ケンヂの台詞があります。


昔・・・・・誰かからこんな話を聞いた。
ロックやってると、27歳で死ぬってな。
ブライアン・ジョーンズジャニス・ジョプリンジム・モリスン・・・・・ジミ・ヘンドリクス・・・・・・・
なんとなく、俺も27歳で死ぬんだろうと思ってた・・・・・
ところが28歳の誕生日をむかえちまって・・・・・ガックリきたよ・・・・
何だ、俺はロッカーじゃなかったのかって・・・・・
だけど、ジジイになってもロックやってるすごい奴は山ほどいる。
死んだらすごいって考えは・・・・・やめた。


今、改めて読んでみて、ああわかるなあこの気持ち、と思いました。

25歳になった時、私も少しガックリしたんです(笑)

村上龍が“限りなく透明に近いブルー”を書いた時よりも歳をとってしまった!!と思って。

なんだか自分の中の可能性がひとつ消えてしまった気がして、本当はそんなこと無いんですけど。

しかし30歳を目前にした今ではケンヂと同じで「ひとつの人生を生き抜くことのすごさ」の方に、自分の価値観の比重が置かれている気がします。

周囲の大人達を見ていると本当にそう思います。



何が言いたかったのかと言うと、リュウやケンヂの持っていた感覚は、あのくらいの年代独特の感覚だよなと思ったのです(19歳の私もそうであったように)。

若さ故の虚無感と焦燥感と言い切っては陳腐ですが、あのギュッと胸を締め付けられるような気持ちは忘れられません。

そんな時代に読んだのが“限りなく透明に近いブルー”でした。

血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。
僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。

初めてこの文章を読んだ時は震えましたね。

何かに“なりたい”のだけど、何になれば良いのかわからない。何になりたいのかわからない。

荒野に放り出され、お前は自由だと言われても、どうすれば良いのかわからないのが普通です。


あともうひとつ、印象に残った描写があります。

僕はグリーンアイズのことを思い出した。君は黒い鳥を見たかい? 君は黒い鳥を見れるよ、グリーンアイズはそう言った。この部屋の外で、あの窓の向こうで、黒い巨大な鳥が飛んでいるのかも知れない。黒い夜そのもののような巨大な鳥、いつも見る灰色でパン屑を啄む鳥と同じように空を舞っている黒い鳥、ただあまりにも巨大なため、嘴にあいた穴が洞窟のように窓の向こう側で見えるだけで、その全体を見ることはできないのだろう。僕に殺された蛾は僕の全体に気付くことなく死んでいったに違いない。緑色の体液を含んだ柔らかい腹を押し潰した巨大な何かが、この僕の一部であることを知らずに死んだのだ。今僕はあの蛾と全く同じようにして、黒い鳥から押し潰されようとしている。グリーンアイズはこのことを教えにやってきたのだろう、僕に教えようとして。リリー、鳥が見えるかい? 今外を飛んでるんだろう? リリーは気がついてるか? 僕は知ってるよ、蛾は俺に気が付かなかった、俺は気が付いたよ。鳥さ、大きな黒い鳥だよ、リリーも知ってるんだろう?


“僕に殺された蛾は僕の全体に気付くことなく死んでいったに違いない”という文章、当時読んだ時、うわあ・・・と、文字通り頭を抱えた記憶があります(笑)

視覚で捉えることのできない脅威的な何かを、作中では“黒い鳥”と表現しています。

そのようなものに晒され続けている状況がリュウの精神を削っているわけで、この感覚は薬でラリっているからというのもあるのでしょうけど、ある種どんな人間でも共通して持ち合わせている感覚でもあるんじゃないかと思ったのです。

目に見えない脅威を怖れているから、漠然とした不安があるから、人は生きるのに苦労するし、恐怖を感じるのではないでしょうか。


何と言うのかな。

その脅威の存在に気付いてしまうのは結構辛いことだけれど、こうして文学を愉しむ余地もそれによって生まれたような気がするのです。

文学の仄暗さへの共感、人間の深遠を覗き込むことへの関心は、生きる上で(自分にとっては)必要なことですから。

限りなく透明に近いブルー”はそういうものを私に教えてくれた気がします。



最後に、やっぱり書きたいので書きます。

限りなく透明に近いブルー”は村上龍作品の中でも特に文中にセックスやドラッグ等、露骨な描写が非常に多いため読んでいて辟易してしまう人もいるようですが、私は村上龍だけはこの類の小説でも嫌悪感無く読めたので不思議に思いました。

完全に作家もしくは作品によるのですけど気持ち悪いなあと思ってしまう確率の方が高い。

今までダメだったのは、石田衣良中村文則(中村さんは“教団X”だけですが・・笑)でした。


それで、長らく何で村上龍だけ平気だったんだろう?と考えていたのですが、答えはこの本の中にありました。

はじめての文学 村上龍

はじめての文学 村上龍

  • 作者:村上 龍
  • 発売日: 2006/12/06
  • メディア: 単行本

高校生の頃、フランスのジャン・ジュネという作家の作品に衝撃を受けた。ジャン・ジュネはホモ・セクシュアルで、私生児で、しかも泥棒だったが、翻訳を読んでも彼の小説は美しく、力に満ち溢れていた。わたしは、ホモセクシュアルや泥棒という小説の題材に惹かれたわけではない。どのような汚辱に満ちた世界を描いても作者に十分な動機と才能があれば小説は際限なく美しく強くなり、読むものに生きる勇気を与えるのだと知った。


以前にも引用したことがあるのですが、この文章がすごく好きで。

初めて読んだ時、村上龍が描くセックスやドラッグの世界を読んでも嫌な気分にならなかったのは、これが理由なんじゃないかと思い当たったんです。

“どのような汚辱に満ちた世界を描いても作者に十分な動機と才能があれば小説は際限なく美しく強くなり、読むものに生きる勇気を与える”

本当にそうなんですよね、不思議に、生きるための活力が沸いてくるような気がするのです。


あとここに自ら“才能”と書き綴っちゃうのが村上龍だなと思います。

不敵な感じがして、好みです。