回顧録① はじめての九州

世間はGWモードですが、ご時世柄旅行には行けないのでいつかやろうやろうと思っていた長崎一人旅の回顧録を書こうと思います。

とはいえ、一から思い出して書くのはもはや不可能なので過去サイトの記録から抜粋した文に加筆修正することとします。

4年も前の旅行なんですけど、私にとってはとても貴重な時間で良い思い出になった旅だったので、「いつまでも忘れたくない」という気持ちもこめてここに再録。

お暇な人はぜひ読んでみて、一緒に旅に行った気分に浸っていただければ嬉しいです。


長崎駅近辺~西坂公園・日本二十六聖人記念館・記念聖堂

◎2016年12月25日朝の便で出発。食い意地はすでに覚醒モードのため飛行機の中でシュウマイ弁当を完食。崎陽軒が本当に好きだ。

◎AM10:30頃、長崎駅到着。すでに荷物が重いことを後悔し始める。小さめのサブバッグ(なぜ持ってこなかった)を買おうか…と思い、電車の一日乗車券を買うついでに駅ビルをちら見たけどやっぱりやめた。気を取り直して西坂公園へ。

◎雨はまだ降ってない。公園と言っても広場のような感じで、人気はほとんどなし。日本二十六聖人の説明文がいろんなところにあるのでそれを読みながら進む。この丘の上で二十六聖人を始め、六百人近いキリシタンが処刑されていると思うと不思議な気分だった。全くもって長閑な午前中、数百年に渡る迫害の歴史で多くの血が流された場所とは思えない。


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(二十六聖人のレリーフ

◎計算づくで造られているのか、記念聖堂とぴったりカメラに収まるこの美しさよ。当時殉教した二十六人の中には子供が三人。その中の一人である14歳のトマス小崎は、母に宛てた手紙の中に「現世は儚いものですから」という言葉を遺している。死を超えるものについて考える。 

◎公園を一通り歩き終えるとようやく記念館に入り、じっくり見学する。マザー・テレサも来たことがあるらしく写真が飾られていた。静謐な空気を感じる「栄光の間」が美しい。どこからか水の流れる音がした。ここには二十六聖人のうち数人の遺骨が祀られている。


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(雪のサンタ・マリア)

◎お土産コーナーにて「雪のサンタ・マリア」の葉書を買う。この絵の現物は、約250年の迫害を逃れて信者たちによって守り通されたものなのだそうだ。すごく綺麗で気に入った。ロザリオもメダイも御像も御絵も、持っているだけで命の危険があった時代。それでも手放さずサンタ・マリアを守り続けた人たちの気持ちとは? 役人に取り上げられずに済んだわずかな遺物の全てがボロボロで、しかしそれはただの経年劣化ではなく、その時代の人たちが切実に求めて憧れた対象物であって、何度も何度も手に取り触れて祈った、彼らの涙や血が滲みこんでいるような、一種の気迫がある。

◎続いて記念聖堂に行ってみると、ちょうど英語のミサが始まったばかりで、受付にいた案内のおばさんに捕まる。「どこから来たのか」等々いろいろと質問されて、その後、ミサの後ろからこっそり聖堂見学させてもらった。こじんまりとした可愛い聖堂だった。遠目に見えるマリア様の御像が美しかった。もっと近くで見たかった。祭壇の真ん中には二十六聖人のモチーフらしい「ΑΩ(キリスト)」とそれを囲む二十六個の十字架が彫られている。それがすごく気に入った。聖書の中に神の言葉で「私はΑ(はじめ)でありΩ(おわり)である」という部分がある。そもそもその表現が好きなので、相俟って良いと思った。

◎聖堂から出て再びおばさんに捕まる。「どうでした??」と訊いてくるので、モチーフのこと質問したら建築にも興味があると思われたのか(あるけどさ)、記念聖堂を見るためのベストスポットに言われるがまま連れられて行った。聖堂付近の住宅街の隙間にあった細い坂を登り、聖堂と公園が見下ろせる位置にたどり着く。おばさんは「この聖堂は後ろから見たほうがいいんだ」と熱心に語ってくれた。他にも、建築家が両脇の尖塔に込めた意味や、窓や天井の形やステンドグラスの模様の意味等も教えてくれた。とても勉強になった。


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(聖堂の壁に埋め込まれた陶器)

◎おばさんの説明が長い(笑)。話の中で一番面白かったのは、記念館の壁に埋め込まれている色とりどりな陶器の破片の意味だった(変わった壁だな、と思っていたのだ)。そもそも二十六聖人は京都で捕らえられて、一ヶ月近くかけて長崎までの西坂までの道のりを歩かされた。その間、彼らは民衆の嘲笑と侮蔑の的となった。どうやら、彼らが歩いた道中の各名産地の陶器が壁に埋め込まれているらしい。処刑地までの歩みも二十六聖人が神聖視される大きな理由の1つだと思う。それは、キリストが自らの処刑のために重い十字架を背負ってゴルゴダの丘を登って行ったことを彷彿とさせる。だからこそ聖人たちも希望を持って長い道のり歩いたのだろうと思った。


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(マリア様のカード)

◎おばちゃんはさらにヒートアップして、遠藤周作の映画「サイレント(沈黙)」の試上映と会見が先日この記念聖堂で行われた話もしてくれた。映画を見た人によると、結構残酷なシーンもあるらしい(まあそうなるよな…)。おばちゃんは別れ際に記念聖堂の写真とマリア様のカードをくれた。近くで見られなかった御像だったけど、思ったとおり綺麗だった。


長崎駅近辺~カトリック中町教会

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(道端の猫)

◎やっとおばちゃんにサヨナラして、大幅なタイムロスを感じつつ中町教会を探す。道すがら、猫を発見。長崎の猫はとても人懐っこいことを知る(あとボブテイルの子ばかり。かわいい)。野良っぽいけどすごい触らせてくれた…! このあと噛まれました。




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(お墓と風景)

◎道すがらの風景も本当に美しい。長崎ってこんなところだったんだ、という感動。いつか住んでみたいなあ。坂が多いから、必然的にこういう風景が出来上がるんだなあ。


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(中町教会)

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(中町教会のマリア像)

◎中町教会を見つける。すごい、かっこいい佇まい。そして見ての通り大きい。近くにマリア様の御像がある。周りの花は椿(長崎の県花)と薔薇(聖母の象徴)だった。水色のベールを被った、素朴で美しいマリア像。



本河内~聖母の騎士修道院・コルベ記念館・記念聖堂

◎時間が厳しい。サン・フランシスコ教会跡と桜町牢跡へ行くのを諦め、電車に飛び乗って聖マキシリミアノ・コルベ記念館に向かう。蛍茶屋駅という終点で降りて、更に歩いて行く。楽しい。だがとにかく長崎は細くて急な坂道が多く、歩いているだけで修行のように感じてくる。観光客が他にいるはずもなく孤独な道のり。本当にこのあたりにあるの…? と不安になってきたところで、無事案内を発見。ここでもマリア様が迎えてくれる。

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(コルベ記念館前、マリア像)


◎とりあえず教会へ。中にはコルベ神父様の小聖堂があった。とりあえずこの旅では、御聖体がある場所に来たらロザリオを一連やろうと決めていたので、小聖堂の一角に座り、ロザリオを唱える。その前にコルベ神父への取次の祈りも加えてみた。あとで気づいたけど、私が使った椅子は昔聖ヨハネパウロ2世教皇がここに巡礼に来た時に使ったものだったらしい(教皇は、コルベ神父と同じポーランド人だった)。畏れ多いわ。

◎続いて、敷地内にあるコルベ神父様が作ったというルルドの泉を目指す。が、ここでまた坂道が私の前に立ちはだかる。途中、ロザリオができるように十字架の道行きの絵が所々で建っている行き届きぶり。疲れた…けれど、辿り着いたらやっぱり嬉しかったですねえ。昔、ここで原爆投下に遭った永井隆博士(長崎医科大学の教授)が、湖の水で怪我が癒やされたという逸話があるらしい。私は何か治してほしいわけではないし、そういう具体的な恩恵を求めているわけでもないけど、そうした形で存在が示されることもきっとあるのだろうと思う(実は、そこまで奇跡というものに興味はないのだが)。そんなことを思いつつ、とりあえず桶が置いてあったから空のペットボトルに水を汲んでみた。思い出のつもりだけど現金かしら。

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(厳しい階段)

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(コルベ神父のルルド


◎坂をくだるのは早い。記念館に行くための時間配分をすっかり忘れていたが、ここまで来たのでやはり向かう。人気なし。それから、旅行前に読んでいた記念館館長の小崎修道士の気配もなし。ぜひお会いしてみたかったが、年齢的に引退したのか、亡くなったのか…。資料室に入って一通り展示物を眺めた。アウシュビッツの写真集がたくさんあった。たぶんポーランド語とドイツ語だったのでよくわからなかったけど、凄惨な写真の数々を見て、当事者の国がこれだけの迫害の歴史を写真集にして原語で残しているのは単純ながら本当に素晴らしいと思った。

◎他にも、復元されたコルベ神父の部屋や机、印刷機等があった。机に使われている木材の一部は当時のものらしい。すごいなあ。こういう簡素な環境で、長崎で毎日を過ごしたんだなあと僅かながら実感が沸いた。

◎そしてコルベ神父がポーランドから連れてきたゼノ修道士の遺品も飾られていた。ボロボロの鞄、帽子、靴。詳しいことは東京に帰って改めて調べてから知ることになるのだけど、ゼノ修道士は修道者になる前は職を転々としたり親の財産を使い果たしたりする文字通りの放蕩息子だったそうで、修道院に入ることを決めたのもどちらかというと世間体のため(人から褒められることだから)という意識が少なからずあった人のようだった。数多くある修道院の中からフランシスコ会を選んだ訳も、当時の彼から見て比較的規律が厳しくなく自由に感じられたことと、何よりたまたま出会ったブラザーが綺麗な靴を履いていたから、というなんとまあ浅はかな理由だった(笑)しかし実際には、個人の持ち物は一切手放して入会させられ、話が違う!と腹を立てたこともあったのだとか。

◎ゼノ修道士の心の内で、一体どのタイミングでどんな風に何が変わったのだろうか。修道士になる以前は多くの職を転々としていたゼノ修道士は、日本では修道院設立の土地探し、資金集め、出版業の経営、日本人との人間関係、靴づくり、家具づくり、などなど、過去の経験を基盤にして大いに活躍したそうだ(彼以外の修道士の中には、日本での生活に堪えられず精神を病んでしまう人もいたらしい)。ゼノ修道士の何よりの長所は、その頑丈な体と精神だった。言葉も喋れず、慣れない環境の中で、彼は誰よりコルベ神父を助け、逞しく生きた。そしてコルベ神父が帰国した後も日本に残り、修道院を支え、戦後は日本の戦災孤児のために働きつくして亡くなった。その戦災孤児の一人が、コルベ記念館の館長である小崎修道士というわけである。

◎記念館で配布していた小冊子にとてもお気に入りのものがある。何度読んでも泣いてしまう。小崎修道士が書いた「ゼノ修道士のカバン」というタイトルの文章だ。以下の通り一部を引用する。

昭和20年、終戦の年、17歳の私は原爆で家を失い、母を失い、雨の日に傘も持たず、ずぶぬれになって聖母の騎士修道院の扉を叩いた。受付で、しっかりと抱きしめてくれたのが、ゼノ修道士だった。ポーランド人ゼノ修道士の暖かな息遣いを忘れない。


◎記念館を出ると猛烈にお腹が空いていることに気づく。宿泊場所へ行く前に築町駅で下車。中華街を歩く。皿うどんを食べた。いつもの調子でビールも飲む。うめえ…染みる…。ついでに「よりより」を買い、お土産に有名店で「豚角煮まん」も買っておこうと思ったけど冷凍保存しなきゃならないから無理だった。とりあえず一個だけ試食兼夜食のつもりで買う。太る。


松山町駅浦上天主堂

◎夕方、松山町駅に到着し、浦上天主堂のクリスマスミサへ。東京のクソ混み具合が嘘のように空いている。東京の教会は、カップルのデートスポットとして紹介されてしまっているので、毎年ものすごい混雑しているのだ。祭壇の横に飾ってある垂れ幕には「先祖が旅を乗り越えて守り抜いた信仰を受け継ごう」(原文ままじゃない)といったことが書かれていた。「旅」というのは、例の浦上四番崩れで流刑に遭った時のことを言うんだけど、ああ事実だったんだな、と、今更ながら実感が沸いた。数百年前には、「キリストを信じます」と言っただけで凄まじい拷問を受けて殺された人たちが沢山いたのだ。政府にとって不都合だったのだろうけど、一体何故そこまで迫害が徹底されたのだろう。何のための迫害だったのだろう。何とも言えない気持ちになる。

浦上天主堂の裏にある長崎カトリックセンターがその日の宿泊場所。なんと宿泊費は1泊3,400円(2016年当時)。お風呂にも入れるし、モーニングコーヒーとパンのサービスもついてる。はっはっは、貧乏旅にはもってこい、はっはっは。入浴後、近くのコンビニ様で買ったクリスマスケーキで独りクリスマス。よりよりと角煮まんも食べてやる!!!酒だって飲む!!歩いた分のカロリーは摂取した。とりあえず満腹様でした。