回顧録②「沈黙」の舞台、外海へ

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浦上天主堂

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(部屋からの景色)

◎長崎2日目。眠い目を擦ってなんとかAM5:30起床し、AM6:00からの浦上天主堂のミサに行く。外はまだ暗くて雨も少し降っている。目の前を小柄なシスターが歩いている。ミサに出る人はちらほら。きっと地元の人だろうなあという人も結構いる。私が泊まった施設では、一般の方の朝ミサ体験ツアーもしていているそうだ。

◎ミサ終了後、部屋に戻ってひとり作戦会議。今日は外海に行くつもりだけど、バスに乗らなきゃいけないのでちょっと不安(バス苦手)。前日に受付のスタッフさんにバスの時間やどれに乗れば良いのか等色々と質問させてもらったけど、本当に親切なおねえさんだった…。調べ方を一通り教えてもらって自分でバスのタイムテーブルを見ながら計画を立てたけど、午後になるとバスは1時間に1本になり、夕方以降には走らないのでかなりタイトなスケジュールで動くことが求められる(昨日もそうだったけど)。


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浦上天主堂正面)

◎バスの時間まで少し余裕があったので、もう一度浦上天主堂へ。こちらへ戻ってくる時にはたぶんもう暗くなっているので、明るいうちに建物を見ておきたかったのだ。周囲をうろうろしていたら、原爆投下時に吹き飛んだ天主堂の鐘楼がそのまま残されているのを発見。本を読んで知ってはいたけど、実際見るとやはり迫力がある。写真の角度でわかるかと思うが、ものすごい高いところから鐘楼が落ちてきている。近くにいた人はひとたまりもなかっただろうな…と考えてから、ここ自体が爆心地から程近い場所にあたるので外出していた人たちはそもそも即死だったのだと気づき、少々呆然とする。天主堂の中にいた人たちも全滅したそうで、信者が1200人いたところ800人近くが亡くなったと書いていたと思う(曖昧)。

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(落下した鐘楼と天主堂)

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(原爆投下直後の鐘楼/見づらい)

◎他にも昨日はじっくり見られなかった天主堂に関する説明文等を読みながらうろうろ。浦上四番崩れで流刑になった村人が1873年(明治6)に浦上に帰ってきて、やがて自分たちの教会が欲しいと考えるようになり、1914年(大正3年)に完成した浦上天主堂は、結局数十年しかその姿を保たずに今度は原子爆弾によって粉砕されたわけだ。これを知ると、改めて何とも言えない気分になる。何度転んでも立ち上がって再生するわけだけれども、何故浦上にここまでの惨劇が集中するのか不思議でならない。

◎それらのことを踏まえてもう一度町の様子を眺めると、戦後70年経った現在、この地が草の根一本生えていない原子野だったとはとても想像がつかない。100年経たないうちにこうして一切の面影が消えていくのなら、この黒焦げた鐘楼のように、いつまでも当時のありのままの姿を保管して次世代に遺し続けようとすることがいかに大切かと思った。他にも天主堂の周囲には、当時の諸聖人の像があえて修繕されずに遺されていたりする。爆風の影響で首が飛んでしまっていて、とても痛々しく、生々しい。


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被爆マリア/撮影不可のため、新聞記事より引用)

◎続いて「被爆マリア」を見るため聖堂の中へ。どこだ~と探していたら、別箇に小聖堂が作られていた。中に入って見てみると、ちょっと遠目なんだけど御像を発見した。原爆でボロボロになり、首だけになった無原罪の聖マリア像。目が焼け落ちて黒く落ちくぼんでいる。じっと見ていると、哀しくなってくる。そして不思議と嬉しいような気もしてくる。何故だろう。よく、戦争やら災害やら悪い事が起こると「神がいるならこんな事が起きるはずがない」と言う人がいるが、このマリア像を見ても同じことを思うだろうか。こんなにも痛んでいるマリア様を見て、私は嬉しかった。被爆マリアは、いついかなる時、どの国、どの民族が相手であっても、マリア様が人々と共にいてくださったという明らかな証拠なのだと思った。浦上の人たちがこのマリア像が帰ってきた時、どんなに嬉しかったか。確か、原爆が落ちた後に外国の神父が瓦礫の中から見つけて自国に持ち帰ったのを後年返却したとどこかに書かれていたと思う。


黒崎教会~枯松神社

◎ぼやぼやしてたらいつの間にかバスの時間が迫っていたので全力疾走して停留所へ向かう。辛すぎた。昨日、荷物が重すぎて肩がちぎれそうだったので、今日はたまたま持ってきていたエコバック(笑)を代用。何故私は移動用のバックを持ってこなかったのか…再び後悔する。根っからインドア派の素人が急に旅行を計画するとこういうことが起こるのだ。とりあえず無事バスに乗り込み、外海地方へと向かうのだった。

◎道中1時間くらいあるのでグッスリ。目が覚めたら風景が田舎になっていた。しかし田んぼや畦道みたいな長閑な感じではなく、切り立った岩山に波が押し寄せるような海辺の田舎町といった様子。見たところ、うちの母の田舎がこんな感じだったので母は長崎が結構好きなんじゃないかと思った。独特の薄暗さやもの悲しさがあるような気がするのは、数百年前にこの地に役人から逃げるようにして隠れ住んでいた切支丹が大勢いたからなのだろうか。

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(バス停から見た黒崎教会)


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(黒崎教会正面)

◎最初の目的地は黒崎教会。浦上天主堂と同じ赤煉瓦造りの可愛い教会。色々教会は見て回ったけど、一番好きな感じの教会だったかもしれない。出入り口のマリア様がとっても綺麗だった。中も素敵で、壁が薄い水色にカラフルなステンドグラスがすごくマッチしてた。無人販売のハガキが売っていたので購入。せっかくなのでマリア様のを何枚か買っておく。誰にあげようかなあ。

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(黒崎教会聖堂内)


◎その後、枯松神社へと向かう。黒崎教会から歩いて20分程度なのだが、森の中にあるのでたどり着けるかどうか不安だし、時間も心配だったので行こうかどうか…と悩んでいた場所。でもせっかくだし行くかと思い、地図アプリ様に頼りながら目的地へと向かう。そもそも歩道が無い。車の通りも少なかったから良ったけど、こんなところに来る人はほとんどいないんだろうなあと思う。しばらく歩いて、本当に神社などあるのかと思い始めたところで「すぐそこ」との案内の立て札を見つける。

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(祈りの岩)

◎神社の手前に「祈りの岩」というものがある。陰に大人が数人は隠れられるくらい大きな岩なのだが、当時の隠れ切支丹たちは、子孫に教えを継承するために祈りの練習の場としてこの場所を選んだのだそうだ。書物に書き残すわけにはいなかいので、口伝頼りになるわけだけど、自宅では近隣の村人に聞かれる恐れがあるのでわざわざ深い森の中の大きな岩の陰に隠れて練習したと思うと切ない。と同時に何故そこまでできたのか、という不思議もある。私が歩いてきた道も、途中までは今でこそ舗装された車道になっていたけど、当時は文字通り道なき道だったんじゃないかと思うとその苦労が偲ばれる。

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(枯松神社)

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(十字架が彫りこまれた岩)

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(お墓)

◎「祈りの岩」から少し奥へ進むと、枯松神社があった。日本で2,3しかない切支丹を祀った珍しい神社。写真で見る限りだと湿っぽくて薄暗い印象だったのだが、実際見てみると全くそんなことはなく、雨も上がって地面まで木漏れ日が届き、鳥の囀りも聞こえきてすごく落ち着きのある美しい雰囲気に包まれていた。神社のすぐ横にある大きな木の幹の下に置いてある大きな岩に、さりげなく十字が彫ってある。そして、その下には平たい岩が並べて置いてあるのだが、これはお墓なんだとか。さらにお墓の上には白い石が数個置いてあって、当時の人たちはこの石を並べて岩の上に十字架を作り祈ったのだそうだ。その様子を見るに、やはり十字架はシンボルなのだと改めて思った。きっとどうしても十字架が欲しかったのだろうと思うと、その切実さを思い、涙を禁じ得ない。


遠藤周作文学館

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遠藤周作文学館)

◎枯松神社を出るとまた雨が降り出していた。再び黒崎教会に戻り、遠藤周作文学館行きのバスを待つ。このバスが遅れてきて…定刻より20分くらい待ってようやくバスが走って来るのを見て、一緒に待っていた見知らぬお婆ちゃんと雨に打たれながら「良かったねえ」と言い合って無事乗り込む。5分くらいで文学館に到着。すごい敷地が広くてびっくりする。母が見たら「偉そうに!」と言いそうだと思った(遠藤氏に愛着をこめて)(母も、演劇とかを実際に見に行っていたコアなファンなのだ)。


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トルコライス

◎文学館に行く前に腹ごしらえ。近くの食堂でトルコライスを食す。トルコライス自体にはそんなに興味がなかったんだけど、これ以外だとバイキングになると言われたので致し方なく。でも運ばれてきたものを食べてみて、これにして良かったーと思った。B級感溢れる感じだし、たぶん店にもよると思うのですが、できたて揚げたてで衣はサクサク絶品、あとパスタはおそらく外海産のものを使っていてモッチモチでとにかく美味しいのだ。大満足。

◎文学館の中に入ると、中央ホールに遠藤氏の格好つけた感じの超ドデカイ写真パネルが飾ってあったので薄ら笑ってしまう。なんか顔立ちが漫画的なんだよなあ手塚治虫漫画とかに出てきそう。敷地は広いのに展示ホールは2つしかなかった。今は「沈黙」の上映前なのでそれに関する展示をしている模様。個人的にはすごく貴重と思われる「沈黙」発表時の当時の作家たちからの批評文が掲載されていた文学誌が展示されていたのが嬉しかった。

三島由紀夫しか知らなかったのでそれをじっくり読んでいたのだが、とても興味深い文だった。三島氏は「沈黙」を高く評価した上で、これのラストシーンに対して疑問を呈している。曰く「神の沈黙を描いたのなら、最後まで沈黙を貫き通させるのが文学ではないのか?」と言ったもの。文学如何やはよくわかりませんが、そういうものなのだろうか。遠藤氏自身は、三島氏に対してだけでなく「沈黙」を読む全ての人に対して「自分はこれをあくまで文学作品としてだけ評価して欲しい」と述べ、さらに「タイトルから誤解されることが多いが“神の沈黙”ではなく“神は沈黙しているのではない”ということを書いたつもりだ」とも言っている。自分が書いた作品についてここまで補足説明しなければならないのは本意ではなかったんじゃないかと個人的には思うのだが、それほど読み手によって感想や受け取り方が異なる作品で、且つ話題性があったということなのだろう。そもそも一部のカトリック教会が禁書にするくらいなんだからさあ。

◎三島氏は上記のように評したけれど、一方で遠藤氏はこうも言っている。「棄教者という沈黙の灰に埋められた人々を描き出す、その意味での“沈黙”でもあり、またそれができるのが文学だ」と。贔屓目じゃないけど、遠藤氏の言う文学の方が好きだなあと思う。村上龍は「どのような汚辱に満ちた世界を描いても作者に十分な動機と才能があれば小説は際限なく美しく強くなり、読むものに生きる勇気を与えるのだと知った」と書いた。それなら遠藤氏には、この作品を書くために有り余る動機があったと思うし、隠れ切支丹の凄惨な歴史は身体的にも精神的にも汚辱に満ちた部分が多数あると思う。そこに「神は沈黙しているのか?」という大きな命題が加わっていると思うと、やっぱりすごい作品だなあと思わざるを得ない。…と、私は何度こういうことを書くんだろうなまったく。

◎文学館で「もっと読まなきゃ!」という気持ちになって、その勢いでお土産コーナーに行ったため、色々と目移りしてしょうがなかった。最近じゃ書店で売ってないようなエッセイも置いてあったので欲しかったけど、たぶんアマゾン先生で古書を買えると思ったので我慢。その代わり、もともと買うつもりだった文学館限定版の「沈黙(単行本)」を2冊購入。うちの母は文庫だと文字が小さくて読めないと抜かすので、1冊あげようと思う。それから今後の参考のために「旅する長崎学 キリシタン文化」という冊子を購入。結構詳しくて、しかもわかりやすく写真つきで書いてあるので良かった。


沈黙の碑~出津文化村

◎文学館を出て、今度は出津文化村へ。バスまで少し時間があったので、文学館併設のカフェで珈琲だけいただく。ついでに家へのお土産として外海産パスタを購入(ド・ロパスタと言う)(何故か微妙にツボ笑)。


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(沈黙の碑)

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(沈黙の碑から見た外海の海/遠藤氏がガルぺの殉教の地と考える風景)

◎バスに乗って5分ほどで出津文化村に着く。ここには私が遠藤周作にハマるきっかけとなった「沈黙の碑」と、禁教令が撤廃された明治以後に派遣されてきたド・ロ神父の記念館などがあるのだ。とりあえず「沈黙の碑」を見に行く。主人公の宣教師ロドリゴと共に来日した同僚ガルぺが、作中で拷問を受ける信者を助けるために荒れ狂う海に飛び込んでそのまま殉教するシーンがあるのだが、遠藤氏は初めてここに来た時にこの場所がそのシーンのイメージにぴったりだと思って碑を立てるに至ったそうだ。刻まれている文字のとおり、きっと晴れていたら碧い海が綺麗だったと思うけど、私は雨で良かったなと思った。きっと信者や宣教師が拷問を受けた海も凪の日ばかりではなかったと思うし。その方が感慨深いと言うか、その当時のことに思いを馳せられると言うか。彼らの苦しみと希望のことを考えるのに相応しいような気がした。

◎改めて、碑に書かれた言葉の意味を噛み締める。「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」。私は初め、この言葉は自然の美しさを讃えるような意味で書かれているのかと思ったのだけど、むしろ「人間の味わっている多大な哀しみを余所に何故自然はこんなにも静寂に満ちて美しいんだろう?」という不安と葛藤を意味した言葉だったのだ・・・。そのことを考えると、確かに、人間は苦しみ遭うたびに一体何を信じて、何を足掛かりに生きれば良いのだろうと思う。たぶんこういうことは、考えて考えて、迷って、迷い抜かなければわからないのだ(そういう人も、いるのだ)。


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(出津文化村)

◎それから出津教会とド・ロ記念館へ向かう。私はあんまりド・ロ神父様(出津に派遣された宣教師)に関しては予習していかなかったのですごく新鮮な気持ちで見られた。なんで出津でここまでド・ロ様、ド・ロ様と言われるんだろう??? と思っていたのだが、年表やらを見ていくとなるほどなと思うところが多く、ド・ロ神父様が当時貧しい農村の一つだった外海地区の出津にもたらした近代的文明の利器に村人たちが多大な恩恵を受けてきたことが分かる。

ド・ロ神父は確かフランスの貴族の家系の出身なのだが、日本の出津に派遣されて、その貧しい暮らしぶりに驚いたのだそうだ。そこで、農業から医学、建設や教育に至るまで自分の持てる知識を総動員して当時の村人に技術を仕込むことで、少ない資源の中で最低限人間らしい暮らしができるように農村の発展に貢献したのだとか。歴史資料を読むと、このド・ロ様がいかにスーパーマンだったかわかる。有名なド・ロ様そうめんというのがあるのだけど、これは当時の人たちの食事事情を見て、栄養のある主食を生産して食べられるようにしようと思ったド・ロ神父が考案した外海産のそうめんで、普通のものよりもモチモチしたフランス風のそうめんなのだそう(私はこれのパスタを買ったのだ)。

◎こうして出津が文化村として保存されている訳は、当時からすればフランスの最先端の技術を用いた画期的な生活様式と、それが辺鄙な日本の農村に取り入れられて独自の文化を形成していたことが歴史的にも文化的にも貴重な事実であるからなのだとか。こうしてド・ロ神父様は信者に限らず村人から慕われて、来日してから一度も故国に帰ることなく出津に全てを捧げて亡くなられたらしい。ここまで多方面で働きながらも、教育の面ではきちんと子供たちにキリスト教要理を教えていたそうなので、改めてすごいなあと思う。ちなみに出津教会もド・ロ様が設計した。

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(出津文化村の風景①)
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(出津文化村の風景②)
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(出津教会)

◎出津文化村の風景。何かに似てるなあと思ってたら、ホビット村だ!!と気づく。和製ホビット村…外海の雰囲気とは一転変わった長閑であたたかな雰囲気…ド・ロ様が通った散歩道もある。この雰囲気が、ド・ロ様がこの土地に注いだ愛のかたちとして残ったような気がして感慨深い。

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(ド・ロ様が通った道)
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(道端のマリア像)


◎時間の許す限り記念館の他、外海歴史博物館に行って急いで中を見て回る。どこに行ってもゆっくりできないのが玉に瑕。歴史博物館には、禁教令の最中隠れ切支丹たちが守ってきた多くのロザリオや御像が保管されていたり、なんと「お祈り」の音源があったりしました。主祈祷なんだけど、ところどころ隠れの歴史の中で独自のものに変わってきているのが分かる。しみじみと聞き入る。

◎バスの時間が迫っていたので見学半ばにバス停に向かう。無事にバスに乗り込み、浦上に戻る。道中は再び爆睡。町中に戻った時にはもう辺りは暗くなっていた。しかしバス一本で戻れるのがありがたい。時間や曜日によると乗り継ぎが必要らしいので。今日は早めに宿舎に戻り、さっさとお風呂に入ってからすぐ近所に夜ご飯を食べに行った。


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(海鮮丼と芋焼酎

◎魚介は食べた方がいいと言われていたので、海鮮丼。と芋焼酎。うまい…(涙)芋焼酎はお湯割りにすれば良かったかも。お店の人に「どこから来たの?」と訊かれて「東京です」と答えると、「新橋で働いてますか?」と何故かピンポイントで訊かれてビクッとする(新橋で働いてません・笑)。よく話を聞くと、店主が昔新橋でサラリーマンをやってたんだって。それで、東京と聞いて懐かしくなったのだとか。店主さん曰く、長崎の実家では父が漁業をやっていて、自分はそういう仕事はいやだーと思って上京したけど、東京に来てどれだけ故郷の魚が美味しかったかやっとわかった。だから、脱サラして親が漁ってきた魚を仕入れてお店やってるんだって。なんだか唐突にいい話。

◎お腹も満足したので、施設に帰ってお風呂入ってテレビ見て就寝。