回顧録③ 原爆資料館~大浦天主堂近辺

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長崎原爆資料館平和記念公園

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原爆資料館への道)
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セントポール通り)

◎長崎3日目。今日は中心街の残りを回る予定。昨日と同じで朝ミサに行ってから軽く朝ご飯。時間との闘いなので、順序よく見て回れるように今日も一人で作戦会議。まずは浦上天主堂から徒歩圏内で行ける長崎原爆資料館へ(AM8:30開館)。さくさく歩きながらふと思うけど、道の名前とかアパートやマンションの名前までキリスト教から来ているものが多いこと多いこと。原爆資料館までの道の名前はセントポール(=聖パウロ)通り。おもしろいなあと思いながら歩く。

原爆資料館はさすがに規模が大きくて見て回るのにすごく時間がかかった。特に真に迫るようだったのは、被害者の証言だったかな。当時の被害状況は本当に凄まじかったのだと思い知らされる。浦上に落ちて長崎駅の方まで被害があったんだから、実際の距離を電車で行き来してみて、この一発の爆弾の威力が如何ほどだったのかを改めて考える。熱線の影響で泡だった瓦、熱で溶けて原型をなくした空き瓶。被害者の写真も恐ろしかった。本当にこれが人なのか? と思う。真っ黒焦げじゃないか。火傷やケロイドの痕。被害者の中で、永井隆博士という人がいるのだが、この人は事前に読んでいた小崎修道士の本に出てきたのでなんとなく知っていた。別枠でひとつコーナーが設けられていたので、それほどの有名な人なのかと思ったのだが、県民栄誉賞? のようなものをもらっているらしい。永井博士の記念館も浦上にある様子。まだ見てない…。

◎後半は原子爆弾の構造やらの展示だったので、さらっと見てお土産コーナーへ。永井博士は生前多くの著書を残したらしく、たくさん本が売っている。その中から「ロザリオの鎖」を購入。「長崎の鐘」と迷ったけど…この本を題材に、サトウハチローが歌謡曲を作って、戦後ヒットしたのだとか。福島原発の後でも話題になったらしい。知らなかった。ちなみに小崎修道士はこの歌をバチカンで行われたコルベ神父の列聖式で歌ったそうだ。美しい歌詞なので下記引用。永井博士の奥様は、この歌詞にあるように、爆心地の近くにあった自宅で形見のロザリオと少しの遺骨だけを遺して亡くなられたそうだ。

 こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ
 なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る

 召されて妻は 天国へ
 別れてひとり 旅立ちぬ
 かたみに残る ロザリオの
 鎖に白き わが涙
 なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る

 こころの罪を うちあけて
 更け行く夜の 月すみぬ
 貧しき家の 柱にも
 気高く白き マリア様
 なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る



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(平和記念像/遠すぎ)

◎一応平和公園と原爆落下地点も見た。が、何せ時間が厳しい。有名な平和記念像(?)を遠目に見て、あそこまで行くのは時間がかかるぞ・・・と思い、ついぞ写真を撮るだけで引き返す。すまぬ。


大浦天主堂~展望台

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大浦天主堂前の坂道/雨ばかり)
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大浦天主堂

◎続いて電車に乗って大浦天主堂へ。やっぱりバスよりも電車の方がほっとするなあ。時間通りに来るし、人もたくさん乗ってるし。さすがに大浦天主堂はメインの観光地の一つでもあるので(グラバー園も近くにある)観光客がいっぱいいた。でも隙を見れば、ご覧の通り人気のない様子も写真に撮れるのだ。

◎出入り口には真っ白な「日本之聖母像」。これは「信徒発見」の後にプチジャン神父が記念として置いたものらしい。外国人のための教会として大浦天主堂の建設を手掛けたプチジャン神父は、それ以前から日本には密かに信仰を持つ隠れ切支丹がいるという噂を耳にしていた。それゆえ、彼はあえて教会を誰でも見学できるように解放し、いつか日本人のキリスト教徒が訪ねてくることを夢見ていたそうだ。そして1865年、数人の浦上村出身の日本人たちが、250年の潜伏期間を経てひっそりと大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に信仰告白した、という逸話が残っている。日本ではあまり知られていないが、ヨーロッパのキリスト教史でこの出来事は「東洋の奇跡(=信徒発見)」と呼ばれているそうだ。当時のことを知らせるために書かれたプチジャン神父のヨーロッパ宛の手紙には、その時日本人信徒が口にした「サンタ・マリアの御像はどこ?」という言葉が、ローマ字にして一字一句そのまま書かれていたそうだ。これこそが、プチジャン神父の感激の深さの表れだと言われている。ちなみに、この神父の浦上四番崩れにまつわる告発が当時日本が貿易関係にあった諸外国に知れ渡って酷評を呼び、300年近く続いた禁教令が解かれるきっかけとなった。そのくらい日本にとっては大きな働きかけをしてくれた神父様なのだ。この方も生涯日本で過ごし、大浦天主堂に遺骨が保存されているらしい。見てない…忘れてた…。

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(日本之聖母像

◎信徒発見の聖母子像は小さな繊細なつくりの御像だった。本当に美しかった。この聖母子像を見るために命がけで天主堂を訪れて神父に話しかけた浦上村の人々は、それまで聖母マリアの御像を一度も見たことがなかった。だから、その場にいたプチジャン神父に在処を尋ねたというわけだ。当時の様子を先日買った「旅する長崎学 キリシタン文化」から引用する。

≪昨日の12時半頃、男女子どもを合わせた12名ないし15名の一団が、単なる好奇心とも思われないような様子で天主堂の門に立っていました。天主堂の門は閉まっていたので、私はそれを急いで開けに行きましたが、私が聖所のほうへ進むにつれて次第に、この参観者たちも私についてきました。(中略)
私がほんの少しだけ祈った後でしたか・・・・40歳ないし50歳位の婦人が私のすぐそばに来て、胸に手を当てて申しました。「ここにおります私共は、全部あなた様と同じ心でございます」「本当ですか? しかしあなた方はどこからおいでになりましたか?」と私は尋ねました。「私たちは、全部浦上村の者でございます。浦上では、ほとんど全部の人が、私たちと同じ心を持っております。」それからこの同じ人はすぐに私に聞きました。「サンタ・マリアの御像はどこ?(Santa Maria gozo wa doko?)」
サンタ・マリアによって祝されたこの言葉を聞いて、私はもう少しも疑いませんでした。私は確実に、日本のキリシタンの子孫を目の前にしているのです。私はこの慰めを神に感謝いたしました。この愛する人たちに取り囲まれ、せき立てられて、私は、あなたがフランスから私たちのために持参してくださいました聖母の御像が安置してある祭壇に、彼らを案内しました。(後略)
(プチジャン神父がパリ外国宣教会日本管区長ジラール神父に宛てた手紙)≫

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(信徒発見のレリーフ
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(聖堂内のサンタ・マリア像)


◎とはいえ現在の大浦天主堂は観光地化していてガイド放送も流れているし人も多いのであんまりゆっくりできる雰囲気ではない。ある程度のところで外にでて、遠藤周作の巡礼ガイドに載っていた天主堂横の祈念坂を登ってみる。確かに、静かで良い道だ。ガイドに載っていたのと同じ角度で撮影。いやほんと自分だけが楽しいやつやでこれ…。遠藤氏はこの道に座ってぼんやりするが好きだったらしい。ちょっと座ってみたけど、寒かったのですぐ立ち上がった。

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大浦天主堂横の脇道)


◎坂を登り切ると展望台があった。観光客もさすがにここまでは来ないようで無人だった。長崎の町が一望できてすごい景色。どこに行っても長崎はこんな感じの街並み。傾斜のある土地に家を建てているんだな。経っている家自体は日本式なのにまるで外国のようで素敵。ポルトガルとかはこういう家の建て方を好むらしく、ポルトガル出身の宣教師たちはきっと長崎に故国の面影を見ていたんじゃなかろうか、と遠藤氏のエッセイに書いていた記憶がある。
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(展望台)
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(展望台からの街並み)

◎そして展望台で再び猫発見。長崎の野良猫はすごい人間に興味があるんだなあ。もしくは何かもらえると思ってるのかもなあ。普通はすぐに逃げると思うんだけど、この茶トラちゃんも近づくと距離をとるもののずっとこっちを見つめてくるので、思惑に乗って少しだけ切れ端カステラをあげてみた(真似してはいけません)。もりもり食べる。さすが野良猫、生きるための底力が違う。そんなことをしていたら色んなところから猫が沸いて出てきて、中の一匹の白い猫はすごい大胆でずっと私の足元にまとわりついて途中まで後をついてくる始末。ごめんよごめんよ。

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(猫①)
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(猫②)

◎記念坂を降りて、そろそろ五島行きのジェットフォイルが出る大波止に向かうため、再び電車に。途中、ご飯を食べるために中華街がある乗り継ぎの駅で降りてちゃんぽんを食す。う、うまい…。魚介の味が良い。あんまりちゃんぽんを食べ慣れてないのでわからないですが、長崎本場のはリンガーハットとかよりも甘めの味なのだそうです。

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(長崎ちゃんぽん)


◎まだまだ時間に余裕があったので、出島博物館へ。もともとは出島があった場所だけど、さらに周囲が埋め立てられて今は跡形もない。特に興味がなかったので何故来たんだっけかと思いつつ見て回る。出島の模型があった。すごいなあ。シーボルトもここにいたんだなあ。あとはどこ行っても椿が咲いていて綺麗ですね長崎は。亀山社中にも寄りたい気持ちがあったが厳しい。

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(出島跡地と椿)


大波止から福江港

◎歩いて大波止に向かう。大波止はかつて浦上四番崩れで流刑に処された信徒たちが各県へ流された場所だ。ここから見える海を見て、もう生きて故郷には戻れないかも知れないと思ったであろう信徒たちのことを考える。当時の貧しい農民からしたら生涯産まれた村で過ごすのが当然であって他県に行くことなんか考えもしなかっただろう。

大波止に到着して、五島福江島行きのチケットを発行するために窓口に行ったら、事件発生。私が乗るはずの便が時化のためまさかの欠航。3度見くらいしたけどやっぱり欠航。時化と言ってもそこまで天気が悪いと思っていなかった・・・天気と海の荒れ具合は別物なのだろうか?? 仕方ないので窓口の人に他に五島へ行く方法があるかどうか尋ねたら「今日中に行くにはフェリーの最終便に乗るしかない」と言われる。なるほど。ジェットフォイルは払い戻しにして、代わりにフェリーのチケットを買うことにしたけど、発売時間までまだ1時間近くあった。そうしているうちに地図アプリを酷使しているスマホの充電が切れそうだったので、携帯充電器を買いに行く。色々と準備不足な旅素人。気疲れか、げっそりし始める。

◎無事充電器を入手。フェリーのチケットも買って、スタバで充電しながら出港を待つ。ジェットフォイルだったら1時間弱で到着するところ3時間もかけて福江港へ。なんてこった。飛行機で行く東京・長崎間より遠いのですが(笑)皆、文句も言わず偉いよなあと同じ憂いを見た人たちとの間に謎の結束感を抱く。乗り込んでから気付いたのだけど、フェリーって遠い昔に一度だけ家族旅行で乗ったことがあった。大勢が同じ空間で雑魚寝するやつや・・・私、これに良い思い出がなくて、たぶん家族でどっかの島に行こうとしていたんだと思うけど、そのタイミングで私は風邪引いて熱出して泣きながら母親が貼ろうとする冷えピタを全力で拒絶していた記憶がある。それに気づいて再びちょっとゲッソリ。他の人を見ていると、フェリーでは眠るのが普通なのか皆枕や毛布を取って横になり始めたのでそれに習って端っこを陣取る。例のごとくすぐにグッスリすやすやでした。

◎3時間後到着。降りる前にトイレに行ったら酔って気分が悪そうにしている人がいて可哀想だった(なんか、ほぼ倒れていた気がする)。降り立ったらもう真っ暗だったけど、福江島で宿をとっていたご主人が自ら送迎してくれるサービスをしていたので大助かり。しかも到着時間が大幅に遅れるのにもわざわざ対応してくださった。今夜の宿は最近オープンしたという港から車で10分程度の民宿で、めっちゃ綺麗。新築って感じ。ご主人もすごくいい人で「大荒れだったからフェリー揺れたでしょー酔わなかった?」と訊かれたけどグッスリだったことを伝えると「そりゃ良かったねー」とのこと。宿についた後も色々気にしてくださって、すごくありがたかった。

◎とりあえずお風呂に入る。すごい嬉しかったのが、シャンプーやらリンスやらが普通の銭湯とかに置いてあるごわごわになるやつじゃなくて、ドラッグストアで売ってるようなちゃんとしたやつばかりだったこと! 風呂道具は一式持参してたけど置いてあったラックススーパー○ッチを使ってやった。これすごいいい匂いだな。風呂後はお疲れ様ビールとちょっとしたご飯(大波止で買っておいた)。なんと自動販売機でビールを売ってくれていたので嬉しい。ただ一つ、玉に瑕だったのは部屋がほんのり煙草臭かったことかなあ。初めは全室禁煙にしていたらしいのですが、それだと泊まってくれない人が多いんだって。そういうもんなのかな。ご主人が空いてる部屋を全部チェックして「ここが一番臭くない!!」と言ったところを貸してくれたのだが…(笑)その後はのんびりテレビを見て就寝。パジャマも貸してくれてありがたい。今日は一日が長かったなあ。