こういうのをフェミニズムっていうのかな

ちょっと前にお笑い芸人の岡村さんの発言が炎上していました(今もしているのかな)。

ネットニュースでも取り上げられていたので、音源は聞いていないですが私もこの発言の内容は知っています。


その時の私の感想はと言うと、ウ~~ン・・・??? という感じ。

語彙力なくてすみません。ただ、強烈にこの発言を非難した人たちほど、反応に瞬発性が無かったと言いますか・・・。

もちろん、いい印象は受けませんでした。

岡村さんの感覚って、結局男の人ってどこかで女性に人格を認めてないのかなと思えて、なんだか悲しくなったし。


でもこれって、それこそ男性陣に失礼な発言になりかねないけど、ほとんどの男性が根底に抱えてる共通の感覚なんじゃないかという気もしています(逆も然りな部分は多々あると思いますが)。

ウ~~~ン。

何と言うか、男性って社会的な競争から離脱したら男性社会の中では「男として認められない」といような強迫観念を少なからず抱えていると思っていて、その中で男としての力を誇示できるわかりやすい三大要素が「金・地位・女」なんだろうなって。

この中に女が入っている意味は、やはり、どれだけ多くのイイ女をはべらせられるかがその男の繁殖力の強さに直結していて、つまり、人間の動物的な部分に起因しているのだと思う。

金と地位も、より多くのメスに見初められるための強力な要素なのだろう(同時に、メスもより強いオスの元で子育てをしたいと考えるから、こういう要素をとかく重視しがち)。

人間だって動物なんだから、こういう感覚を完全に取り去ることは不可能です。



でも、女性が社会進出して、必ずしも男性に頼って生活しなければならない状況ではなくなることで、今までになかった自立心が芽生えつつあるのかなという気がします。

親離れする子供を見ればわかるように、自立心が芽生えると人は、自分が「個」であることを認めて欲しいと思うようになります。

誰かの娘でも、彼女でも、妻でも、母でもなく、まず大前提として、「私は私である」ということを尊重してほしいと思うようになるんです。

それは、他の動物は持っていない、個々のパーソナリティを持つ人間特有の感覚ですよね。



私は、動物でもあるけど人間だから、男性にはなるべく「女」と見られるよりも、「人間」として対等に認められたいとずっと思ってきました。

じゃあ女としてちっとも求められなくていいのか? と言われるとそういうわけではなく、要はどちらに重きを置くかということで、私はパートナーには「女」としての役割や機能を求められるだけではなく「個」として尊敬・尊重されたいんです(そのためには、それに相当する人間にならなくてはいけないけど)。

つまり、他の女では替えがきかない特別な存在として認められたいんです。それが切なる願いなのです。

そういう女性は今の時代少なからずいるし、昔にも主張できないだけいたんじゃないかな。


この感覚を、わかってくれる男性はどのくらいいるんだろう。

私は時々思うのだけど、一体どこまで行ったら、どのくらいの時間をかけたら、夫にとって私は他の女では替えのきかない存在になれるのかなと。

たとえば私が女じゃなくても、たとえば女としての役割や機能を失っても、果たして夫は一個人である私と一緒にいてくれるのかなとか。



今回の発言については、岡村さんには悪意がなかったことは、なんとなくわかる。

人間不信なんだろうな、と感じる。私も男だったら彼のようになっていたかも。

私は女だから人間不信に陥っていれば、男性を始め徹底的に人間と関わらないでも全然過ごしていけるけど、男性は男性の生理としてそうはいかないのだろう。

それはそれで、大変苦労することだろうなと思う。なんていうか、業を感じる。


人と関係を築くのが苦手で、でも人と接しなければ発散できない性があって、そのために商品化されたものが目の前にあったら、買う人は多いんじゃないですか。

ただ、公共の電波に乗せるような発言ではなかったと思うけど。


岡村さんのような人もいるだろうなと思う反面、年齢に応じて人間として成熟していくことができていれば、彼のような発言はなかなかできないだろうなとも思う。

矢部さんが指摘しているのは「結婚しろ」どうこうじゃなくて、特定の誰かと特定の関係を結んで長く丁寧に根気よく付き合うことは、人間として社会に参加して生きていくのに大事なことなんだよってことだと思う。

わかりやすい例が結婚であり、妻を持ち、子を持つことであるだけで、別にそうじゃなくてもとても関係の深いパートナーを持つことや友達を持つこと、いろんなパターンで言えることだと思う。


繰り返しになるけど、動物である前に、男である前に、女である前に、人間なんだから、人として尊厳ある生を生きたい。

身近にいる人たちにもそういう自分を認めて欲しいし、私も相手を人として尊重していきたい。

そして、そういう対等な関係を望むことは、わざわざ“フェミニズム”と称されるような特別なことではなくて、自然な感覚なんじゃないかと、私は思う。

自然な願望であることを認めずに、何かにカテゴライズしようとすること自体が、なんだか差別的だと感じてしまうのは、それこそが“フェミニズム”だろうと指摘される由縁でしょうか。

わからないけれど。



(簡単りんごケーキ!)(GWを経て1キロ増量・・・)
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