7月5日が愛猫の命日なのだけど、あの子がいなくなってからもう1年も経ったことに驚いている。
ほとんど毎日思い出していたんじゃないかな~スマホのトップ画面に写真を設定してるから当たり前か。
写真を眺めては「なんて可愛い子だったのだろう」と、しみじみ思う。
寂しいです。
先日、母とご飯を食べた時に、「いつかまた自分でも猫を飼いたいけれど【また必ず先にいなくなっちゃうんだよなあ】と考えてしまう」と話した。
すると母は、「abomiちゃん、生き物って、みんなそうなのよ」と言った。
まるで小さい子に言い聞かせるかのような口調だった・・笑。
そして母はいつもの通り、自分が子供の頃の話をした。
東北のド田舎にある実家では、犬も猫もいたけど、一度も死に際を見たことがないらしい。
皆、死期を悟るとひとりでどこかに行ってしまい、帰って来ないのだそうだ。
子供の頃に転んだ母の顔面を踏み抜いて走り去ったという雑種犬のポチも、晩年は山の中に消えたらしい。
そんな環境で育ったので、東京で初めて動物と家族のように暮らしてこんなに違うのかと驚いている。
いつの間にか自分の子供みたいに思っていたあの子の死を看取るのは、とても辛かった、と。
いつも通り母の話したことにはっきりとした結論は無いのだが、きっと【先に死んでいくのが辛いからという理由で生き物との関わりを断つことは無い】と言いたかったのだと思う。
母の言うことは真理だし、時々するどいことを言う。
今週末は、久しぶりに実家の家族が集まって一緒に過ごす予定だ。
だってあの子の命日なので。
ヒマワリをたくさん買って帰るのです。あの子がいた家に。
ちなみに弟分はモリモリご飯を食べて今日も元気だそうです。
コロナの関係で母誕生日、母の日、父の日、を全てスルーしたので、何かプレゼントをしたいのだけど欲しい物は大抵自分達で手に入れている人たちのなので何も思い付かなかった。
なので、今年は弟分のためにキャリーバッグとキャットフード入れをプレゼントしようかと思う。
これも母が言っていたことだけど、「最近弟分が本当に可愛くてしかたないの」と。
「えっ、いままでは?」と訊いたら、「いままではお兄ちゃんお兄ちゃんだったから(先住猫を優先して可愛がらねばと思っていたらしい)」とのこと。
そして「この子(弟分)がいて本当に良かった」と言っていました。
母からその言葉が聞けて私は嬉しかったです。
弟分をもらってきたのは私で、もしかしたら、兄猫は最終的にはストレスになっていたんじゃないか? もらってこない方が皆のためにも良かったんじゃないか・・・? って少しだけ、考えてしまっていたから。
父と母が、猫がいると家が明るくなる、楽しい、と思ってくれているようで、本当に良かった。
そういうわけで、弟分が長生きできるように、これからは彼の身の回りにすこしずつ良い物を配置できればいいなと思っている(貢ぐ女)。