【人間失格】世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?

人間失格 (角川文庫)

人間失格 (角川文庫)

誰しも知ってる著名本なので、あらすじは割愛。


この本についてよく言われること、「主人公がまるで自分みたいだ」という感想。

そういう読み方は、私はこの本に限らずあまりしたことが無いのだけど、改めて心に残った一文を読むと胸に痛いものがある。

何故だろなあと考えたら、やっぱり身につまされるような共感がそこにあったからではないかと思う。



ちなみに、初めて「人間失格」を読んだのは18歳くらいの頃。

その時に、私の記憶に強烈に残ったのは以下の引用箇所だった。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

主人公の葉蔵が、友人から「もういい加減女遊びはやめとけよ」と言われる時、友人は自分の意見としてではなくそのことを「世間が許さないぞ」と言うのだ。

それに対する主人公の心の声が、「世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?」というもの。


何故18歳の私はこの言葉に共感したのか。

世間の声を後ろ楯にして人の弱みをつくなんて卑怯じゃないか、という気持ちがどこかにあったのだろう。

幼い心に対する「みんなそう思ってるよ」という言葉の破壊力は計り知れない。


18歳の頃、私はいつもそこはかとなく寂しかった。

若ければ誰にでもある感覚かもしれないが、自分はどこかおかしいんじゃないか? という劣等感を抱いていた。

個性など、当人が受け入れられなければ苦しい他者との差異であるだけだ(今はそうではないけれども)。




また、改めて読んだ時にハッとしたのは以下の引用箇所だった。

そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

我ながら単純だが、“道化”というパワーワードに惹かれたんだろうと思う。

子供が家庭の中で道化を演じるなんて、これ以上に悲しいことがあるだろうか。

幸い私は思いのまま生きてこられたけど、こういう苦しみを背負う人は思いの外多いのではないか。

家庭の中でこそ、道化にならずに済んだけれど、社会の中で、私自身も道化を演じたことが数限りなくあったのではないか。


なんだ、私も結局、葉蔵なのか?




思うのは、たぶん、この本は本当に落ち込んでいる時は読まない方が良い本だってこと。

ある意味似た感じの主人公ならば、私はドストエフスキーの「地下室の手記」をお薦めする。

地下室の手記(新潮文庫)

地下室の手記(新潮文庫)

こちらの主人公は、同じ道化的な滑稽さの中にも面白みがあり、言い知れない悲しみや惨めさを感じずにいられる気がするから。

弱ってる時に葉蔵はダメだ。