先日は我が愛猫の命日で、義両親の結婚記念日だった。
2年前の夏に2カ月間の闘病を経て猫は去って行き、その翌日に義両親へ結婚の挨拶をした。
それからと言うもの、私にとって7月は別れと進展の季節になった。
この時期になると猫に会いたい、といつも以上に強く思う。
先週末、半年ぶりに義両親に会った。
義実家では両親の誕生日も父の日・母の日も祝わない代わりに、毎年必ず結婚記念日の付近の週末に食事会をする。
コロナ禍なので賛否両論あるだろうけど、今年も記念日の食事会は予定通り行われた。
店は早くに閉まってしまうのと、今現在お酒を飲めない人が2人いるので、義実家での食事会となった。
ここだけの話、数ヵ月前に実は義父が癌を患っているという連絡を受けた。
義両親は随分前から義父に癌があることを知っていたそうなのだが、子供達には手術ができる段階になってから報告したようだった。
最初は、手術で取り除ける程度の初期段階のものだと聞いていたのだけど、いざ見てみたら転移が進んでいて、今の状態は末期癌の手前であるステージⅣにあたるらしい。
私にとって癌は不治の病の印象が強い。
20年前と10年前、母方の祖母、叔母、叔父を全員癌で亡くした。猫の病気も癌であった。なぜ何度も何度も癌なのだろう?
その中でも強烈に記憶に残っているのは、叔母の闘病生活である。
叔母は乳癌だった。とても綺麗な人だったけど、抗癌剤の副作用で髪の毛が抜け落ち、顔が黄色く浮腫んで最期は別人のようになっていた。
私は10歳の頃に母に連れられて度々叔母を見舞ったが、心の中では日に日に変わっていく叔母の様相を「怖い」と感じていた。
そしてある日、いつものように病院に行ったところ、母が突然泣き出して「○○ちゃん(叔母)が死んじゃった」と言った。(病院に着くまで、言えなかったらしい)
叔母が病気であることは分かっていたけど、死んでしまうような病気が世の中にあることをまだ理解できていなかった私は、ぼんやりとその言葉を聞いていた。
葬式では娘に先立たれた祖母が火葬の直前に娘の名前を呼んで泣き叫んでいた。
その2カ月後に祖母は亡くなった。
2人の遺体に触れた10歳の私は、あの時の肌の冷たさ、硬さを、とても生きていた人間とは思えないようなその感触を今でもはっきりと覚えている。
癌と言われると、これらの記憶がまざまざと甦るのである。
特に抗癌剤は嫌なイメージしかないし、病院も大嫌いだ。(病院嫌いは、母の事故の影響もあるだろう)
でもあれらの出来事は10年~20年前のことであって、きっと今は癌治療も進歩していて、被治療者にとってより負担が少なく、効果の高いものに変化しているに違いない。
癌は不治の病ではなくなった。それでも、「ステージ4」「手術による摘出はもうできない」「抗癌剤治療へ移行」と聞くと、嫌なイメージばかりが浮かんでくる。
私はまた、20年前のあの光景を見なければならないのだろうか。
何より、夫や義母、義弟は、自分の夫であり父である人の闘病と今後向き合って行かなければならないのか。
私は、自分の父や母がああなるのは絶対に見たくない、と密かに思ってしまう。
無暗に不安を煽るだけなので、夫には10年、20年前に叔母達の闘病生活で見たことは言わないつもりだ。
ただ「今は癌治療も以前よりはずっと進歩してるはずだよね」と2人で言い合った。
「癌はもう不治の病じゃないよね」と。
久しぶりに会った義父は元気そうだった。
ただ、以前よりも痩せて顔色が悪かった。
義実家に着いてすぐに、先日渡した御見舞金のお礼と私の体を気遣う言葉をかけてくれた。
家族になってから、義両親はより優しくなったような気がする。
深い親戚付き合いが得意なわけではないけど、あの空間にいる時は「結婚して良かった」と思う。
義父は、仕事がしたい、と言った。元気でいなきゃなーとも言っていた。
ハッキリは言わなかったが、「孫が産まれるから」という意味だったのだと思う。
実は、妊娠してから「あれ、タイミング間違えた?」と思ったことがあったのだけど、妊娠発覚後に義父の癌の話を聞いて、始めは初期症状だと言っていたのに蓋を開けてみたらステージⅣであることが分かって、決してそのためだけに産むわけではないけれど、やっぱり「今で良かった」んだと思った。
こんな時は、旧約聖書の一節を思い出す。
主のなさることは全て、時にかなって美しい(伝道の書3:11)
都合の良い解釈に思えるだろうか。
妊娠だけでなく、色々な事で「はやく、はやく」と気持ちが急くことはあるし、じゃあこんなに望んでいるのに「今じゃないのか」「私には手に入らないのか」と現状に不安や不満を抱くこともあると思う。
それでも私にとって今回の出来事は、自分達の力では決してコントロールできない次元にある神の領域のことで、例え私にとっては不利益な部分があったとしても「時にかなって美しい」ことだったと思う。
そう考えることで、不安も多いけれど、勇気を持ってこれ以後の生活を過ごすことができるかもしれないと感じたのだ。
(なんて気持ちよさそうに眠るのか)