【夜の谷を行く】女の側からの戦い

以下、あらすじ。

39年前、西田啓子はリンチ殺人の舞台となった連合赤軍の山岳ベースから脱走した。5年余の服役を経て、いまは一人で静かに過ごしている。だが、2011年、元連合赤軍最高幹部・永田洋子の死の知らせと共に、忘れてしまいたい過去が啓子に迫ってくる。元の仲間、昔の夫から連絡があり、姪に過去を告げねばならず、さらには連合赤軍を取材しているというジャーナリストが現れ―女たちの、連合赤軍の、真実が明かされる。



実際に起きた事件として、歴史的にも相当ショッキングな内容の連合赤軍の山岳ベース事件を題材としたこちらの小説、完読してみて、面白いと言ったら語弊があるかもしれないけれど、なかなか読み応えがあった。

重い内容だけどサクサク読めるのは、会話文が多いからだろうか。


「夜の谷」の意味

主人公である西田啓子(この人自体はフィクション)は山岳ベース事件の生き残りなのだが、彼女は下っ端にあたる一構成員でしかなく、実際に事件の加害者となったのは連合赤軍の幹部達、被害者となったのは幹部に程近い発言力を持つ構成員であった。

裁判記録や参考資料でしか垣間見えない真実を突き止めるのは難しいが、判決文を見る限りでは、幹部陣の指導力不足や社会的未熟さ等が相俟って過激思想に火がつき、結果的に指導の内容が全く要領を得ない暴力を伴う「総括」(自分の活動に対する反省みたいなもの)要求に繋がったと言う。

何でこんなことになってしまったかなあ・・・という気もするのだけど、組織的に後がない程追い詰められた中で実施した軍事訓練(と称した潜伏生活?)、物資も十分でない限られた空間、雪山の厳しい気候、そして何より全員が(表向きには)ひとつの政治的な目的を共有している、等といった特殊な条件が揃った環境が、ひとりひとりを周囲の仲間の動向に敏感にさせ、また猜疑心を深め、少しでも理想から逸れた事をする「誰か」を批判する感情を強めさせたのではないかという気がする。

そして、一度転がり出したら自分自身も「総括」対象になることを怖れて、静観するしかなくなる気持ちも理解できる。

指導者とは程遠い立場であった主人公を含め、きっとほとんどの人が、連合赤軍が巻き込まれた奔流から逃れることは出来ないに違いない。


興味深いのは、主人公の西田が、両親が心労で早死にし、親族とも縁を切られ、妹の離婚の原因にもなった自分の関わった事件を然程悲観していないように見えるところだと思う。

自営の個人塾を閉めた後は、年金と貯金を元手に贅沢はできないけれど不自由ない生活を送り、実妹と姪との関わりもあって完全な孤独というわけでもない。

平日はジムに通って運動し、週末は図書館で本を見繕い読書に勤しみ、一日の終わりの発泡酒、たまに飲む焼酎のお湯割りを楽しみにしている様子を見るに、過去の仄暗い記憶には一切蓋をして現在を生きているように思える。

妹から度々当時の怨みつらみを語られても「あの場にいなかった者には自分達が抱いていた大志も、リンチに至ってしまった経緯も到底理解できないだろう」と内心考えていたり、山岳ベースに参加しなかった同胞から「どうしてあんなことになってしまったのか釈明しろ」と迫られても、「まだ私の中で当時のことを正確に言語化できないから無理」とバッサリ断ったり、そうした部分だけを見ると、なかなか身勝手な人だな、という印象である。


しかし2011年初頭、そんな西田の元に、大幹部であり死刑宣告を受けていた永田洋子の獄中死の訃報が届き、更にその直後に東日本大震災が起きたことで、物語が大きく動き出す。

この二つの出来事に時代の移り変わりを感じた西田は、今まで接触を避けてきた当時の同胞達との再会や、ジャーナリストからの取材を引き受けたり等して、自分なりに当時のことを振り返り始める。

少しずつ主人公本人が長年胸に秘めてきたある負い目の正体が明らかになっていくのだが、それに伴い、西田が当時のことに何の感慨も覚えず、何の反省もしていない訳ではないということに読者も気付く。

仲間へのリンチに加担こそしなかったものの、反対もせずその出来事を静観し、何度も亡骸を運んでは冷たい土の中に埋めた時に歩んだ暗い「夜の谷」を、遥か昔に服役を終えたはずの彼女は今もなお孤独に歩き続けているのである。

そう思うと、タイトルにこれ以外ないという秀逸さを感じた。


西田の負い目

以下ネタバレしてしまうと、西田は当時政治結婚をしていた同胞の子供を妊娠しており、その状態で軍事訓練に参加していた。

革命左派には特に女性が多く、彼女等の野望のひとつとして「山で子供を産み育て、新時代の革命戦士を育てる」というのがあったらしい。

そのため実際に参加者の中に妊婦や子連れがいたり、教育や医療のための元教師や看護師等の子供に関わる職業に就いていた者がいたのだと言う。

正直言ってあまりに無謀すぎて言葉が出ないし、妊婦本人も妊娠出産を舐めすぎていると思う。

結局、妊娠8カ月の女性をリンチ死させるという最悪の結果を招くわけだが、西田が強烈な負い目を感じていたのは、正にこの妊婦とお腹の中の子供を助けられなかったことだったのだ。

自分が妊娠していたことを知っていた人に対しては、山岳ベースから脱走して捕まり、服役している最中に「妊娠していた子供は堕胎した」と説明していた西田だったが、実際には獄中で子供を産んでおり、里子に出していた。

しかし、西田はリンチから救えなかった母子の手前、自分だけがのうのうと子を産んで育てることなど出来ないと心に決め、「完全に忘れることにした」のである。

これも、見方によっては身勝手な決断のようにも思えるかもしれないけれど、私は彼女の中にある母という生き物の悲哀を感じるような気がした。

何故なら、10カ月お腹に抱えて育てた子を、産んですぐ手放すのは普通ならばとんでもなく辛いことだと思うからだ。


ラストはどんでん返しと言うか、今までほどんど匂わせてこなかった新事実が発覚し、少々ビックリして終わるのだが、物語としては美しい終わりだと思った。

他の作家が書いたら、お涙頂戴の感動物語で陳腐な結末にしてしまいそうな展開を、西田という冷静な女性が主人公であることで、決して湿っぽくなく、彼女という人間の中にある深い後悔と反省の色だけを滲ませてスパッと締めくくる、その潔さが気持ちよかった。


「永田はもっと女の側から戦うべきだったのだ」

永田洋子に対する判決文の中に、「女特有の嫉妬深さから大勢の同志を殺した」という内容の記述があるらしい。

前後を読んでみても、公式の判決文なのに女性軽視甚だしく、現代ではあり得ないな、と少々驚いたのだが、当時も少なからず世の女性達から反感を買ったようだ。


作中で「永田と西田には絶対に会いたくない」と語った同胞のひとりである女性は、永田と西田は男の論理に取り込まれて、自分達には「山で子供を産み、革命戦士を育て上げる」というもう一つの崇高な目的があったことを裁判の答弁で一切触れなかったことについて強烈に批判している。

そして「永田はもっと女の側から戦うべきだったのだ」と発言する。

なるほど、確かに男と女とでは生き物として身体的な能力差があるし、全く同じ土俵に乗って戦うことはできない。

だからこそ、看護学生として軍事訓練に参加していたこの女性は、発言権のあった永田・西田等に「もう一つの目的」をもっと尊重して欲しかったと感じているのである。

読み手や事件を知る人にとっては、この目的こそが荒唐無稽に思えるのだが、彼女等は世の中を変えるために本気でこの計画に取り組もうとしていたということなのだろう。


これは、現代でもある意味大きな課題のひとつだなと思った。

女が男と同じ土俵に上がっても、生き物として別である以上、女は女でまた違う戦い方を見出さなくてはならない。

単純な殴り合いでは負けるのだ。

だからこそ、男性にはできない、「命を産む」ことに希望を見出していたのではないか。

それをいつの間にか見落として、森の暴力による革命の勢いに流されてしまった。

永田の実際のパーソナリティがどういったものなのかは分からないが、男性が中心となり構成されている赤軍派の「男の戦い方」に合わせなければという無意識の焦りがあった可能性は充分にある。

そして裁判官からはその焦りを「女性特有の嫉妬心」と判断されてしまった。

「永田はもっと女の側から戦うべきだったのだ」

彼女の過ちのひとつは、そこにあったのではないか?


この本を読む前に私が知りたいと思ったのは、実際当時の学生運動に関わっていた人達は、男性は過去の出来事を武勇伝のように語る人が多く、女性は黙す傾向があるそうで、では一体この差はどこから来るのだろう? ということだった。

ハッキリとした答えは出なかったが、ひとつ感じたのは、少なくとも山岳ベース事件においては「命」を抱えて山に入った女性たちにとって、自分達の行いによってその「命」を消してしまったことは、やはり産む性ではない男性と比較すると遥かに重かったからではないか、ということである。

永田と同じ最高幹部であった森は、捕縛後しばらくしてから極中で自殺している。

永田は病気を抱えながら最後まで生きて、森が自死を選んだあたりも、また興味深く男性と女性の違いを感じたりするのである。



ちなみに、著者のインタビュー記事も面白かったので以下貼り付けます。
dot.asahi.com

さらに、映画も大まかな流れを知るのに役立ちました。永田役の女性の眼光が鋭すぎて怖い(笑)
内容もかなり怖いので注意。





追記:たまたまだけど、自分が妊娠してる時に読む本じゃないな・・・(笑)と思った。そこは、さすがにちょっとげんなりした。